叱責、鉄拳、罰金…試練の日々で星野監督よりも「怖かった人」
星野仙一監督時代の叱責、鉄拳、罰金……。試練の日々で救いだったのは、名参謀・島野育夫さんの存在だった。
星野監督の1次(1987~91年)、2次政権(96~2001年)でヘッドコーチなどを歴任した闘将の右腕だ。
俺が成績不振で二軍に落とされるときは必ず声をかけてくれた。
「頑張ってこい。また鍛えて帰ってこいよ」
島野さんの言葉のおかげで、また一軍に這い上がるためのモチベーションを保つことができた。
島野さんはいい意味で星野監督にも選手にも、どっちにも「いい顔」をしてくれる。俺たち選手が監督に怒られても、すかさずフォローしてくれた。
「星野もアカンなあ」
そのひと言で心がスッとしたものだ。
俺が首脳陣に不信感を持ったときも、こまやかにケアしてくれた。
星野監督の第2次政権時、すでに俺がレギュラーだった頃のことだ。愛媛・松山球場での広島戦で、事前に何の説明もなくスタメンを外されたことがあった。納得いかねぇ……とモヤモヤしていると、あるコーチが監督に「武司を外しましょう」と進言していたことが発覚したのだ。それを知って「あの野郎、シバいたる!」と息巻いていたら、島野さんが来て、「おまえ、どうしたんや」と声をかけてくれた。