野村克也
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秋頃に自覚、「ノムラの考え」に傾倒していつしか“野球好きの少年”に戻っていた
ある年の夏場、練習日をオフにしてほしいと野村克也監督に直談判すると、あっさり許可してくれた。 俺はこの頃、野村監督のことをまるっきり勘違いしていたと痛感していた。会って話すまでは一方的でワンマンな性格だと思っていたが、こんな...
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野村チルドレン「長男」の自負がある 次第に“直談判”で休日申請するようになった顛末
「おまえ、子供が可愛くねえのか。俺は克則が可愛いんや」 楽天時代、野村克也監督が島田亨球団社長に言った言葉だ。エコヒイキで何が悪い、と開き直る監督の親バカっぷりに思わずズッコケた。 思えば、俺もずいぶん可愛がってもらっ...
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クレーム殺到の“親バカ起用” 球団社長を唖然とさせた野村監督の「言い分」に俺までズッコケた
楽天では2005年の球団創設時から、礒部公一が初代選手会長とキャプテンを務めていた。06年に就任した野村克也監督は、開幕から打撃不振に陥ったチームリーダーをとても気遣っていた。 「たった1打席であいつのプライドを傷つけたくない...
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チームの顔・礒部公一に代打騒動勃発 「お前が決めろ」野村監督の突然のフリに泡を食った
楽天が創設された2005年当初、チームリーダーは礒部公一だった。初代選手会長と主将に就任した礒部は近鉄バファローズ(現オリックス)最後の選手会長でもあり、球界再編のときは先頭に立って現場の意見を訴えていた。チームの牽引役にふさわしい...
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負け癖がついたチームに危機感 “立場”をわきまえていたが、一線を越える決意をした
2006年8月22日。雨中の岩手県営野球場で行われた日本ハム戦。楽天は、九回裏を迎えて3対10の大差で負けていた。 「九回は打席が回ってこんだろうな……」とタカをくくり、ベンチ裏でベトベトになったユニホームを脱ぎ、アンダーシャ...
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名将野村監督の“栄光の終わり”を暗示した不吉な快挙…「明日につながらんよ」が現実に
お江戸の桜が散り終えた頃の出来事だった。1998(平成10)年4月22日、神宮球場でのヤクルト-中日戦。初回にヤクルトが一挙13点を挙げた試合である。3本塁打を含む10打数連続安打という史上に残る猛攻だった。 当時は大きな話...
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野村監督を激怒させたベンチ裏の一幕…翌日なおキレ続ける姿に俺は内心苛立った
「野村再生工場」。弱かったチームを優勝させ、結果が出ずにくすぶる選手の才能を開花させる。野村克也監督の手腕はそう呼ばれた。俺もそこで「再生」できた一人だ。 監督が口癖のように言っていた言葉がある。 「弱いなら、弱いなりに...
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野村監督は「大いに結構」「必ず振れ」…“三振恐怖症”で錆びついた意識を根本から変えてくれた
「いくらでも三振してこい」 2006年、野村克也監督に言われた言葉に衝撃を受けた。 中日時代、星野仙一監督には「三振するな」と言われ続けてきた。三振してベンチに帰ってくれば怒声を浴び、ある時は罰金も取られた。三振が続く...
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「ダメなら…潔く辞めればええやろ」 “ノムラの金言”は俺の考え方を百八十度変えた
「ノムラの金言」 野村克也監督が残した言葉の数々を、周囲はそう呼ぶ。 俺も楽天で指導を受けるようになり、多くの金言をもらった。 「まずは野球を好きになりなさい」 監督と話すようになって早々に言われた言葉だ...
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「考える野球」に混乱と苛立ちが続く中、涙が出そうになった野村監督の声かけ
「最後は『頭』や。年を取れば、体力もパワーも反射神経も全部なくなっていく。最後に使うところは頭しかない」 2006年、野村克也監督に言われ、プロ20年目で初めて「考える野球」に取り組むことになった。 それまで本能で打席...
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本能で野球をしていた俺に「最後は“頭”や」 野村監督の助言をめんどくせえなと思った
2006年、楽天の2年目から野村克也監督のもとで野球をやることになった。キャンプ初日から挨拶を無視され、第一印象は最悪。しかし、半月後の“呼び出し”を境にコミュニケーションを取れるようになった。 野村監督が俺を気にかけてくれ...
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野村のオヤジが出したクイズ「ノートを取らないバカタレはお前の他にもう一人。当ててみい」
2006年、楽天に野村克也監督が就任すると、ミーティングの様子は一変。キャンプ前半はすべて「人生訓」に時間が割かれた。野村監督は1時間半、ホワイトボードに「ノムラの考え」を書き、選手はそれをひたすらノートに取る。しかし、俺はメモすら...
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恐るべき「ノムラの観察眼」 サボりを見抜くと監督付広報を派遣、“ノートチェック”を実施した
2006年、野村克也監督が就任。春のキャンプでは初日から半月もの間、無視され続けた。 野村監督といえば、情報やデータを重視する「ID野球」で結果を残してきた理論派の名将。一方で俺が大切にしてきたのは義理と人情。プロ1年目から...
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「おい、おまえ、生意気なんだよ」 野村監督は俺の挨拶を“ガン無視”、暴れたろうかと考えた
2006年、野村克也監督が楽天の指揮官になった。名前を聞いた瞬間、「なんじゃそりゃ、最悪だ」と崩れ落ちた。ここにきて、なぜ野村監督なんだ。ほとんど接点はなかったものの、「ID野球」「野球に厳しく選手を褒めない」というイメージが強く、...
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あの野村監督が謝罪「投げさせすぎた」 伊藤智仁は短命に終わるも鮮烈な記憶を焼き付けた
日刊ゲンダイではこれまで、多くの球界OB、関係者による回顧録や交遊録を連載してきた。 当事者として直接接してきたからこそ語れる、あの大物選手、有名選手の知られざる素顔や人となり。当時の空気感や人間関係が、ありありと浮かび上が...
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【野村克也監督】阪神に根付く「ノムラID野球」…私の野球観も大きく変わりました
1977年ドラフト5位で内野手として阪神入団、引退直後の82年から昨年まで43年間にわたり、スコアラーとしてチームを支えた飯田正男氏(66)。氏の野球観が大きく変わったのは、99年の野村克也監督の就任だった。前年の98年までヤクルト...
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元ヤクルト宮本慎也さん「野球人生の支えは2つの言葉」…母親が医者に言った一言、同志社大監督からの喝
現役時代はヤクルトの名選手として、五輪では代表主将、WBCでは優勝メンバーとして活躍した宮本慎也さん。NHKで野球解説も担当。新刊「プロ視点の野球観戦術」という目からウロコの野球本も上梓した。そんな宮本さんの野球人生にとって決定的な...
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故・野村監督が仕掛けた打倒巨人の奇襲作戦に身内のボクまで騙された
日刊ゲンダイではこれまで、多くの球界OB、関係者による回顧録や交遊録を連載してきた。 当事者として直接接してきたからこそ語れる、あの大物選手、有名選手の知られざる素顔や人となり。当時の空気感や人間関係が、ありありと浮かび上がる...
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故・野村監督の恐るべき情報収集力…ボクは第1回ミーティングでカミナリを落とされた
日刊ゲンダイではこれまで、多くの球界OB、関係者による回顧録や交遊録を連載してきた。 当事者として直接接してきたからこそ語れる、あの大物選手、有名選手の知られざる素顔や人となり。当時の空気感や人間関係が、ありありと浮かび上がる...
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野村克也・沙知代「名将を支えた“最低の女房”」(4)「私の人生において、唯一、絶対的なもの。それはいつも沙知代がいる、ということだった」
野村沙知代についての書籍は、実弟の伊東信義による「姉野村沙知代」と、実子のケニー野村による「グッバイ・マミー」が出されている。この二冊には、沙知代の無責任きわまる育児放棄、奔放な男性関係、弱者に対する横暴、信じ難い強欲と虚言癖などが...
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野村克也・沙知代「名将を支えた“最低の女房”」(3)衆院選出馬、学歴詐称、脱税…沙知代は世間を騒がせ続けた
一九七七年に南海ホークスを去った野村克也は、沙知代の“なんとかなるわよ”という言葉を頼りに東京へ向かい、同年、金田正一監督率いるロッテオリオンズに移籍。翌七八年には根本陸夫監督率いる西武ライオンズに移籍する。だがいずれのチームでも派...
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野村克也・沙知代「名将を支えた“最低の女房”」(2)南海監督解任のウラにあった現場介入
のちに“沙知代”と改名することになる伊東芳枝は、一九三二年三月二十六日に生まれた。父は都営バスの運転手で、一家は東京都荒川区南千住に住んでいた。ただし芳枝の実弟・伊東信義の「姉野村沙知代」(以下同)によれば、五人きょうだいのうち長女...
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かつての石井一久の剛毛すぎた強心臓…無断外泊でどつかれた当日の快投に野村監督も呆れていた
日刊ゲンダイではこれまで、多くの球界OB、関係者による回顧録や交遊録を連載してきた。 当事者として直接接してきたからこそ語れる、あの大物選手、有名選手の知られざる素顔や人となり。当時の空気感や人間関係が、ありありと浮かび上がる...
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野村克也・沙知代「名将を支えた“最低の女房”」(1)「悪妻の見本のような女だった」
「悪妻に一般的な型などあるべきものではなく、否、男女関係のすべてに於て型はない。個性と個性の相対的な加減乗除があるだけだ」 坂口安吾は、「悪妻論」と題する一文でこのように述べ、さらに“夫婦間の恋愛的緊張を保つために妻は悪妻であ...
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伝説的なヤジに反発した鈍足本塁打王・野村克也がホームスチール! 実は7度も本盗成功している
テレビの時代劇を見ていたら「火事と喧嘩は江戸の華」と懐かしいセリフ。これで思い出したのが「ヤジと乱闘はプロ野球の華」。昭和のプロ野球は個性派が多く、グラウンドでは力自慢に業師がゴロゴロ、遺恨試合はザラ、スタンドからはヤジの応酬ーーと...
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僕の理想の指導者は岡田彰布さん…「野村監督になんと言われようと絶対に一軍に上げたる!」
二軍の存在意義とは何だろうか。まず二軍監督が「この選手は絶対にいいので使って欲しい」と一軍の首脳陣にはっきり言えること。逆に一軍や球団から「あいつを上げろ」と言われることがあるが、調子が上がっていないなら「二軍では推薦できない」とキ...
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野村監督に「不平不満を持っているようにしか見えない」と問い詰められて…
1999年から2001年の野村克也監督時代の3年間、周辺にいるコーチとの間にこんなことがあった。 「監督がこう言っている」と、ある練習を命じられた。僕の考えと違ったため、「こうやってもいいですか?」と返したが、後になって全く監...
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吉井ロッテ“20日間負けなし”! 選手起用の裏に「仰木マジック」と「野村ID」
引き分けを挟んだ連勝は「11」で止まった。しかし、負けたのは5月12日の日本ハム戦以来、実に21日ぶりだから、指揮官が「チームは粘り強くなった」と言うのももっともか。 2日の阪神戦に惜敗したロッテのことだ。 1点を追...
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新庄日本ハムの飛び道具は相手にバレバレ…野村采配“信奉”指揮官「弱者の兵法」の勘違い
苦渋の連敗だ。 日本ハムは25日、ロッテに敗れ2連敗。打線は12安打を放ったものの、七回の守備のミスなどで足を引っ張った。 新庄監督が率いる日本ハムといえば、奇襲、奇策が代名詞。交流戦でもセ相手に重盗、スクイズなどを...
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来季阪神「平田監督&カツノリHC」2トップが急浮上! 裏にノムラの考え、二軍ですでに布石
〈球団首脳が「次は平田新監督」で意見が一致〉 今季限りで矢野燿大監督(53)が退任する阪神の次期監督を巡って、産経新聞WEBのコラムがこう報じたのは8月下旬のことだ。 次期監督候補には平田勝男二軍監督(63)に加え、2...
