恐るべき「ノムラの観察眼」 サボりを見抜くと監督付広報を派遣、“ノートチェック”を実施した
2006年、野村克也監督が就任。春のキャンプでは初日から半月もの間、無視され続けた。
野村監督といえば、情報やデータを重視する「ID野球」で結果を残してきた理論派の名将。一方で俺が大切にしてきたのは義理と人情。プロ1年目から星野仙一監督に「根性野球」を叩き込まれてきた人間とではまさに「水と油」だ。
「やっぱり嫌われていたんだ」
ところが、無視され続けて2週間が経った頃、野村監督からの言葉で潮目が変わることになる。
「おまえ、人に勘違いされやすいだろ。実は俺も一緒や」
これが楽天での初めての会話だった。
中日やオリックスで監督やコーチともめたことが耳に入っていたのだろう。「態度や振る舞いで勘違いされないよう野球に取り組みなさい」と忠告してくれたのだ。
それ以来、挨拶を返してくれるようになり、少しずつ話すように。あるとき、「なんで最初、俺のことを無視していたんですか」とぶつけたことがあった。
「実は(半月間)ずっとおまえを観察していたんや。おまえがどういう行動を取るのか、どんな振る舞いをするのかを見ていたんだよ」
野村監督の観察眼の鋭さはミーティングでも発揮された。キャンプイン前日の1月31日、宿舎で開かれた全体ミーティングで野村監督が開口一番、こう言った。
「俺と野球をやるにあたって守ってほしいことがある。茶髪、長髪、ヒゲ禁止。それを守れんヤツは明日からグラウンドに来んでええ」
選手たちの間には不穏な空気が充満していた。きっとこのときも、選手たちがどんな反応をするのか、しっかり観察していたに違いない。
チームに「ノムラの考え」を浸透させるため、キャンプインから10日間は毎晩1時間半のミーティング。そのほぼすべてが「人とはどうあるべきか」という「人生訓」に費やされた。野球の技術的な話はキャンプ後半まで皆無だった気がする。
夕食終わりの一番眠い時間。野村監督は会議室のホワイトボードにひたすら「ノムラの考え」を書き、選手はこれをノートに写す。「いやいや、そんなんコピーして配ってくれよ」と思ったが、あえて書き写させるのは選手を寝かせないための野村監督の作戦でもあった。
最前列の若手たちは予備校生のように必死でノートに写す。かたや、ベテランの俺は後方でただ聞くだけ。ノートは取っていなかった。メモを取る選手は目線をノートに移して下を向く。でも俺はずっとホワイトボードをぼーっと見ていたからだろう。野村監督はすぐに書いていないことを見破った。
「監督が『山﨑はミーティングでノートに書いてないから確認してこい』って言うんだけど、そうなの?」
ミーティング後、こう言って俺の部屋を訪ねてきたのは、野村監督の専属広報だった嶌村聡さん(現阪神球団本部長)だった。
やべえ、
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