野村監督を激怒させたベンチ裏の一幕…翌日なおキレ続ける姿に俺は内心苛立った
「野村再生工場」。弱かったチームを優勝させ、結果が出ずにくすぶる選手の才能を開花させる。野村克也監督の手腕はそう呼ばれた。俺もそこで「再生」できた一人だ。
監督が口癖のように言っていた言葉がある。
「弱いなら、弱いなりに戦え」
力がないのに、いきなり優勝とか“上”の話をしたって仕方ない。それなら、今ここでどうやって戦うのか。相手に少しでもダメージを与えて次につなげるためにはどうしたらいいか。
確かに、当時の楽天はあまりにも弱かった。というか、「負け犬根性」が染みついていた。試合の開始直前になっても、ロッカールームでゲームをしたり、緊張感なく雑談したりするのは日常茶飯事。闘争心のカケラもなかった。
諦めも早かった。「どうせ勝てない」と言わんばかり。彼らが分配ドラフトで近鉄バファローズ(現オリックス)から漏れたのも納得だった。創設1年目の2005年は100敗寸前の97敗で断然の最下位。弱いこと、負けることに慣れていたせいだろう。チームが戦う体制にすらなっていなかった。
中日時代、星野仙一監督が指揮を執っていた頃は試合開始時間が近づくと必ず誰かが「行くぞ!」と声をかけ、戦うムードを高める。命を取るか取られるかの「戦」のようだった。
イマドキ、そういう考えは時代遅れなのかもしれない。でも、「一致団結して、もう同じ方向を向いてやるぞ」という思いはチームが勝つうえでは不可欠。野村監督も同じ気持ちだったと思う。
一度だけ、「戦う姿勢」について野村監督に怒られたことがあった。
夏の岩手県営球場での日本ハム戦。雨が降っていて湿気が多く、汗が体にまとわりつく嫌な天気だった。俺は6番・DH。八回裏にソロ本塁打を放ったものの、九回裏の攻撃を迎えて3対10の大差で負けていた。
「九回は打席が回ってこんだろうな」
ユニホームは雨に濡れ、エアコンのない球場でムシムシしていて気持ちが悪かった。DHで守備につかないため、ベンチ裏でユニホームを脱いでアンダーシャツで素振りをしていた。すると、そこに野村監督がふらっとやって来て、こう言った。
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