萩本欽一〈48〉73歳で駒沢大学に入学、就活に悩む同級生にした「木彫り名人」の話
「お寺を継ぐよ」
萩本「うん。それでさ、運と就職の話だけど、駒沢大学の学生時代、しょんぼりしてたばこ吸ってる学生によく相談されたんだよ。『何だおまえ、どうした』って聞くとみんな就職の壁にぶつかったって。もう10社ぐらい行ったけど、ダメなんですよねって言う。そんときに必ずしてあげる話があるの。『俺ね、いろんな仕事の名人に会ってきた。そういう人たちに話を聞いて1つ気づいたんだよ。自分の好きな仕事を選んでそこで成功した人と、好きでもない仕事についてそれからその仕事を好きになった名人がいるって。それは五分五分の割合だった。君は就職活動してあそこへ行きたいってところに落っこちたわけでしょ。でも好きでもない仕事は残ってるよ、いっぱい。そこに名人があと半分いるんだよ。どっち行っても一緒だよ』って言ったら、みんな『欽ちゃんありがとう。幅が広がった』って言って。俺がなんでそんなアドバイスができたかっていうと、現に俺が好きでもない仕事について、その仕事を好きになってうまくいったから」
増田「なるほど」
萩本「芸能界っていう好きでもないし、得意でもねえとこ来ちゃったのね。ただ運があるだろうってんで。それでも成功したんだよね。以前、山に行って木彫りの名人に会ったことがあるの。それで『こういう仕事がしたいって何歳頃に気づいたんですか?』って聞いた。そしたら『ずいぶん年とってからだよ』って。『俺は商社に勤めていて、結構楽しかったんだよ。だけど、里帰りしたときに一生懸命彫ってる親父を見て、俺、半分冗談で〝親父、俺もう好きな仕事やったから親父の後継ぐよ〟って言ったら、親父がうれしそうな顔して〝本当かよ〟って。あの顔見たら、俺、冗談だって言えなくなっちまったんだよ』ってね。その人が今や名人だから」
増田「それもまた運というか縁というか……」
萩本「そうなのよ。それがね、比率でいうと半分ずつぐらいだったの」
増田「なるほど」
萩本「それから駒沢大学時代でいうとさ、俺、2人の友達ができたの。たくさん友達できたよ。そのなかでも本当に親しい友達、親友っていえる若いのが2人できた。そのうちの1人は、いい子だったんでずっと連れて歩いてたのよ。マネジャーみたいに」
増田「駒沢大学時代にですか?」
萩本「そうそうそう。そいつのお母さんがあるとき会いたいって来たのよ。なんでお母さんに会わなきゃいけねえんだろと思いながら会ったら、『萩本さんありがとうございました』って言うのよ。『あの子は大学も行きたいと言わないで、親をてこずらしてたんです』って。学校行ってもね、いつ辞めるか危ない子だったんですって。半年したら『母ちゃん、俺、お寺継ぐよ』って言って、びっくりして親が『おまえ急にどうしたんだい?』って聞いたら『欽ちゃんと付き合って、その世界を見たらやる気になった』って。だからありがとうございましたって」
増田「へえ。面白いですね」
萩本「俺見て何を感じたのかね」
増田「若者って繊細に何かを感じるんですね」
(つづく=火・木曜公開)
▽はぎもと・きんいち 1941年、東京都生まれ。高校卒業後、浅草での修行を経て、66年にコント55号を結成。故・坂上二郎さんとのコンビで一世を風靡した。その後、タレント、司会者としてテレビ界を席巻し、80年代には週3本の冠番組の視聴率がすべて30%を超え、「視聴率100%男」の異名をとった。社会人野球「茨城ゴールデンゴールズ」の初代監督、2015年には73歳で駒澤大学仏教学部に入学するなど挑戦を続け、25年10月にスタートしたBS日テレ「9階のハギモトさん!」は今年4月からSEASON3に突入した。
▽ますだ・としなり 1965年、愛知県生まれ。小説家。北海道大学中退。中日新聞社時代の2006年「シャトゥーン ヒグマの森」でこのミステリーがすごい!大賞優秀賞を受賞してデビュー。12年「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」で大宅壮一賞と新潮ドキュメント賞をダブル受賞。3月に上梓した「警察官の心臓」(講談社)が発売中。現在、拓殖大学客員教授。


















