(5)「会えるアイドル」から「触れ合えるアイドルへ」…偶発的に始まった握手会が広げた可能性
「やはり才能を超える何かを持っている人間なんです」と語るのはおニャン子クラブ時代から秋元康をよく知る制作会社幹部だ。2005年12月8日、AKB48の最初のステージは散々なものだった。定員250人のAKB48劇場に訪れた有料入場者はわずか7人。だが、それが「かえって良かった」と同幹部。
「7人なんて、あとは伸びるしかない。伝説として語り草になる予感しかなかった。いつもどこからかツキが押し寄せてくる彼らしい船出だった」
しかし、状況がすぐに好転したわけではなかった。相変わらず空席が目立つ観客席を前に、センターの前田敦子ら第1期生20人の表情はガチガチのままだった。MC役を任された宇佐美友紀のしゃべりもぎこちなかった。
それでもネット上の口コミで少しずつ観客は増えていった。アクシデントに見舞われたのはデビューから8日後の12月16日のことだった。舞台装置が故障し、公演ができなくなってしまったのだ。ここでも秋元の強運と嗅覚の鋭さが発揮される。この緊急事態さえもチャンスに変えていくのである。劇場にはすでに約50人が来場していた。彼らをこのまま手ぶらで帰すわけにはいかない。そこで急きょ、行うことになったのが握手会だった。


















