(2)「おニャン子クラブ」の二の舞いを回避した「順位付け」という競争原理はグループを飛躍的に活性化させた
「おニャン子クラブとの決定的な違いは競争原理を取り入れたこと」とAKB48の成功の理由を挙げるのは制作会社の幹部。おニャン子の結成から解散までの2年半、ADとしてその動向を間近で見た経験を持つ。
1985年春、フジテレビのバラエティー番組「夕やけニャンニャン」のアシスタントとして現役女子高生を中心に結成されたおニャン子。3カ月後に発売されたデビューシングル「セーラー服を脱がさないで」は51万枚のヒット。新田恵利「冬のオペラグラス」52万枚、国生さゆり「バレンタイン・キッス」55万枚など、メンバーがソロで出した曲も次々にヒットした。いずれも作詞は番組で構成を担当した秋元康である。当時、秋元はおニャン子人気はいつまで続くかという雑誌の質問に次のように答えている。
「(メンバーの)卒業~入学をやっていけば、無尽蔵に続くのじゃあないですか。このおニャン子世代は意外とつつましやかというかさびしい連中が多いですからね」(「創」86年9月号)
だが、その後は下降の一途をたどり、このインタビューの1年後、おニャン子は解散してしまう。夕やけニャンニャンの視聴率は低迷。87年夏での打ち切りが決まり、おニャン子も終焉を迎えた。


















