龍谷大平安を日本一に導いた「17億円」新設グラウンド効果
「あれだけの施設があり、いい選手がどんどん入ってくる。かなわないよ」
センバツ出場校の監督がポツリと漏らした。
京阪対決となった2日の決勝戦は、龍谷大平安(京都)が履正社(大阪)を振りきり、1908年の創部以来初となる春優勝を決めた。
「平安は高橋奎、犬塚、元氏という左腕トリオが力を発揮した。一方、大会ナンバーワン左腕といわれた田嶋擁する佐野日大(栃木)、田中を擁する豊川(愛知)がそれぞれ準決勝で敗れたのは、1人の大黒柱に頼らざるを得なかったから。準優勝の履正社も、溝田、永谷の2年生右腕2人が牽引。平安は左腕トリオの存在、投手力の豊富さが優勝を呼び込んだと思う」(スポーツライター・安倍昌彦氏)
原田監督は「監督という立場を超えて、平安ファンとしてホントにうれしい」と感無量だった。
センバツ初優勝は、巨額資金を投じた「龍谷大平安ボールパーク」の存在を抜きにして語れない。
12年秋、京都の伏見区に総面積2万6000平方メートル(グラウンド約2面分)の野球部専用グラウンドを造った。甲子園の黒土と近い土で固め、外野には人工芝が敷き詰められた。