倉本聰さん死去…語り継がれる孤高の生き様と名台詞「子供が、まだ食ってる途中でしょうが!」秘話
とは、シナリオ関係者。
「とにかく台詞へのこだわりは凄まじかった。『よう』を『やあ』に変えただけで、その俳優を二度と使わなかったというエピソードもあります。厳格だった、というだけじゃない。日テレで1990年放送の連ドラ『火の用心』 では、主演のとんねるずに本読みや立ち稽古から壮絶なダメ出しの嵐で指導したあと、食事の席で石橋貴明さんにこんなアドバイスをしています。『木梨は十分器用なことは分かったけど、お前は不器用だ。だけど石橋、不器用を一生懸命貫いて頑張っていくと、その不器用がやがて武器になるからな。だからお前はコツコツと、丁寧にやっていくしかないんだ』。2021年のインタビューで『今も胸に刻んでいる』と石橋さんは語っている。そういう役者も数え切れません」(同)
■「創るということは遊ぶということ 創るということは狂うということ」
東京・代々木生まれ。東大文学部卒後、1959年にニッポン放送入社。会社に内緒で「倉本聰」のペンネームを使いテレビ脚本を内職したのが、脚本家としてのスタートで、上司から「最近出てきた倉本ってのに会ってこい」と命じられ、時間をつぶして「大したことないやつでした」と報告したエピソードは有名だ。63年に独立。「前略おふくろ様」「君は海を見たか」などのあと、1974年のNHK大河「勝海舟」での演出関与をめぐり、スタッフと衝突して途中降板し、東京を離れ北海道へ渡り後に富良野へ。そこで脚本用の200字詰め原稿用紙に極細のペンやボールペンで手書きするスタイルを貫き、90歳近くまで書き続けた。


















