81年ぶり名跡復活 右近改め「三代目 市川右團次」の実力
今年も1月は東京だけで4つの劇場で歌舞伎公演があるが、どれかひとつを選べとなると、新橋演舞場だ。市川右近(53)の「三代目市川右團次襲名披露興行」である。
「右團次」といわれてもピンとこない人がほとんどだろう。なにしろ二代目が亡くなったのが戦前の1936年。81年ぶりの復活なのだ。幕末に活躍した名優に四代目市川小團次がいて、その子が初代左團次(養子)と初代右團次(実子)だった。他に五代目小團次もいた。
右團次の名跡は初代の子が二代目として継いだが、その子は役者を廃業したので三代目にはならず、その子が当代(三代目)の右之助となった。初代と二代目は早替わりなどケレンを得意とする立役だったが、当代右之助は女形の脇役だ。うまい役者だが、初代と二代目とは芸風が異なるからか襲名せず、81年間も誰も右團次と名乗る役者はいなかったのだ。
■初代・右團次と重なる部分が
このたび三代目右團次となった市川右近は歌舞伎役者の子ではなく、日本舞踊飛鳥流宗家の子として生まれ、少年時代から三代目市川猿之助(現・猿翁)の門弟となり、市川右近と名乗っていた(右近は本名)。師・猿翁の業績としては「スーパー歌舞伎」があり、これこそ早替わりや宙乗りなどケレン味のある歌舞伎で、伝えられている初代・右團次と重なるところがある。