旧宮家の養子に新たな「儀式」検討…その裏に「予算獲得」の思惑?
これは明治以降のあり方で、それ以前は異なった。古代の律令制の時代には、曾孫までが親王・内親王であったが、中世になると、「親王宣下」を受けないと親王・内親王になれなかった。そこには、現在と異なり、側室制度などがあって、皇族の数が多すぎたからである。
中世における内親王には多くの荘園が寄進され、財政的に極めて豊かだった。一方、親王宣下を受けて親王になると、皇位継承が見込めない人間は出家して「法親王」となり、比叡山や名門の門跡寺院のトップになった。
その一方で、親王宣下を受けられない天皇の子供もいたわけで、男の王だと出家する場合もあったが、位は親王が出家した場合と比較して低かった。
そうでなければ、「臣籍降下」して皇族の地位を離れなければならなかった。臣籍降下した時点で姓を与えられるが、それが「源氏」や「平氏」であった。彼らは公家となり、朝廷に仕えたが、なかには武装して武士になる人間も現れた。鎌倉幕府を開いた源頼朝などがその代表である。
ただ、親王宣下を受けても、特別な儀式があったわけではない。宣下を受けた人間に対して、その位を授けるという天皇からの勅命書が届けられるだけだった。

















