「ありがとうを言えなくて」野村克也著
野村は監督時代、いつも最悪の事態を想定して采配を振ったが、家庭ではそれを怠っていた。人生の中でいつも沙知代がいるということが絶対だったからだ。野村はいつも応接間で、沙知代はダイニングでテレビを見ていた。たばこを吸うときもダイニングで吸っていた。
妻が他界してから、野村は、彼女がいつも座っていた、ニコチンの臭いが染みついたダイニングの椅子でテレビを見るようになった。
妻の死で、野村は家にも「体温」があることを知った。猫はいつも家でいちばん暖かい場所で寝ているが、今の野村にとって一番暖かい場所は沙知代が座っていた椅子なのだ。
倒れてからわずか5分で逝ってしまった妻に言えなかった言葉をつづった手記。
(講談社 1300円+税)