阿部慎之助にした「今ならパワハラで即クビ」の指導&落合博満から学んだ仰天トレーニング
内田順三氏による「巨人広島名伯楽の作る育てる生かす」(第8回=2020年)を再公開
日刊ゲンダイではこれまで多くの球界OB、関係者による回顧録や交遊録を連載してきた。当事者だからこそ語れる、あの大物選手、有名選手の知られざる素顔や人となり。当時の空気感や人間関係──。
今回はあの阿部慎之助氏と落合博満氏について綴られた、内田順三氏による「巨人広島名伯楽の作る育てる生かす」(第8回=2020年)を再公開。年齢、肩書などは当時のまま。
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2001年、新人だった阿部慎之助は開幕から正捕手を務め、夏前に疲労がピークに達していた。
練習量が減る横浜スタジアムや神宮でビジターの試合がある場合、若手はジャイアンツ球場で10時半開始の打撃練習を行っていた。
そんな時、当時の長嶋監督に「慎之助は朝練を休ませたらどうかな」と言われた。私は「配慮しますから、このままやらせてください」とお願いし、長嶋監督も了承してくれた。
ある日、ナイター明けの阿部が朝練に10分ほど遅刻した。私は室内練習場のケージ横に正座をさせたまま、打撃練習を見学させた。プロの世界では一分、一秒が大切だと自覚して欲しかった。とはいえ、今なら「パワハラ」で即クビになっていただろう。
コーチの助言に拒否反応を示さずにチャレンジする。試合前、DeNAの4番だった筒香がよく阿部のもとに挨拶に来た。打撃論を交わしたり、時には疑問点を聞いたり、年下の選手からでも吸収しようとするなど、好奇心旺盛で貪欲だ。12年に.340で捕手史上最高打率を記録。三冠王こそ逃したものの、打率、打点の「2冠」に加え、最高出塁率のタイトルも獲得した。17年8月に2000安打を達成。私の想像をはるかに超える左の大打者に成長した。
今季から二軍監督に就任した。まず誰かつくり上げたといえる選手が欲しい。そうすれば自信になる。引き出しの多い男。指導者に向いていると思う。
コーチとして逆に勉強になったのは、オチ(落合博満)とやれたことだ。
1994年、私と同じタイミングで巨人にFA移籍してきた。「オレ流」オチの練習は独特だった。
春のキャンプでは午前中はチーム練習に参加するものの、午後になると、必需品のコーヒー、アンパン、たばこを持って、報道陣をシャットアウトできるエアドームにこもった。
密室で緩いカーブマシンを20~30分打って休憩。一服しながらコーヒーを飲んで、また打つ。これを12時半から17時まで繰り返した。
時折、マシンに体を正対させて打つこともある。要するに、ホームベース上に立って、捕手に背中を向けて構えるのだ。もし空振りしたら、体にぶつかることになる。それでもオチは右肘を体にこするように柔らかく振りながら、的確に捉えていた。
私がトスを上げてティー打撃をする。オチが流し打ちをイメージすると私の体の右横、30~40センチくらいのところに同じように打ち返してくる。「オチ、危ないだろ」と言うと、「いや、内田さん、絶対に当てないから大丈夫だって」と涼しい顔。三冠王3度。オチの肘の使い方、バットコントロールは、私が見てきた選手の中でナンバーワンだった。
私が広島のコーチ時代、不振にあえいでいた4番・栗原を連れて、中日の監督だったオチに相談したことがある。(日刊ゲンダイDIGITAL「内田順三 巨人広島名伯楽の作る育てる生かす 第9回」につづく)


















