日本の相続税率は世界トップクラス、「相続が3代続くと財産がなくなる」の由来
実状にそぐわない法律から生まれた歪み
なぜ、日本の相続税制度はこのように「未熟」なものになってしまったのか。ここで、日本における相続税制度の変遷についてお話ししていきましょう。
前述のように、古来の日本は「家督は長男が継ぐ」という認識が一般的でしたが、そこには相続に対して税金をかけるという発想はありませんでした。その潮目が変わったのは日露戦争のときです。日本政府は巨額の戦費を調達するために「相続税」を創設しました。しかしながら、戦争に要した費用約20億円に占めるその相続税の割合は0.1%(200万円)に過ぎませんでした。
当時から昭和24年までの間、わが国では「遺産課税方式」が採用されました。これは現在のイギリスやアメリカなどでも採用されている課税方法で、被相続人(亡くなった人)の遺産の中から遺言執行人が相続税を支払い、残りを相続人で――遺言(遺言がない場合には法定相続分)に従って――分割します。この場合、被相続人が納税義務者となることから、相続税というよりはむしろ、「遺産税」という呼び方がしっくりきます。
しかしながら、他の先進諸国が民主的な法体系の下に、遺産課税を運用していたのに対して、わが国では国側が一方的に課税価格を決定し、「異議があるなら通知から20日以内に申し立てよ」とする封建的な運用方法(賦課課税制度)が採られていました。
このように、西欧列強に倣い採り入れたものの、西欧とは異なる運用で走り出しました。そして、戦後になってからは昭和22年、納税者自らが課税価格を決定する「申告納税制度」に、25年には、アメリカのシャウプ勧告に基づく税制改正により「遺産税」から「遺産取得税」へと仕組みが180度切り替わりました。
■アメリカによる急激な改革
GHQの招聘により来日したシャウプ博士は、「現行の相続税法(遺産課税)は、巨富の急速な蓄積とその保全を助長している」として富の集中蓄積を阻止することを提言、それを採り入れたのでした。そして、昭和33年の改正では遺産税的な要素が含まれる「法定相続分の課税方法」がそれに加わり、日本独自の相続税制度が形づくられたのです。
もうひとつ重要なのは、戦前の日本には、旧憲法における民法上の家族制度に即応した「家督相続」と、「遺産相続」の二つの相続形態が存在したことです。相続税法もこれに対応し、家督相続の場合には低い税率が課せられていました。
「家督相続」とは、一家の戸主という権利・義務と財産を引き継ぐ制度で、戦前の民法では、戸主の死亡や隠居のときには「戸主」たる地位を受け継ぐ者が、財産も相続すると定められ、古くから日本に根ざした家のあり方でした。しかし昭和22年の憲法改正により、その法的効力を失い、相続税においても遺産相続に対する課税一本となりました。
このように、明治38年から昭和33年にかけて相続税を取り巻く状況は、ジェットコースターのように上下動と左右逆転を繰り返し、変貌を遂げていったのです。つまり、憲法改正によって数百年にわたりわが国に根ざしていた「家督制度」が法的に消滅した、それが骨抜きになったいまの相続税を形づくっているのです。