「桑田真澄は二軍監督より一軍の方が…」 盟友・西山秀二氏が指摘する“自主性重視”の落とし穴
──桑田さんは中学からすごかった?
「ひとりだけモノが違いました。直球は中2で140キロ近く。大きなカーブ、スラーブ、カットボールみたいな少し曲がる球などを投げ分けられた。真っすぐは内角、外角に構えたら、間違いなくその辺にくる。投げれば、ほとんどがノーヒットノーランか完全試合。僕のホームランで1-0で勝つとか(笑)。球のキレ、コントロール、組み立てなど、プロ野球で投げていた桑田が中学生に投げているようなもの。打たれるはずがありません」
──中学時代は2年夏と3年春に2敗しただけで卒業。高校は別々になった。
「桑田と一緒にPL学園に行きたかったのですが、大正中とPLの関係がこじれて、桑田は3年3学期に他の中学に転校してPLへ。僕は一般入試で上宮を選んだ。上宮の先輩には笘篠兄弟(誠治=元西武他、賢治=元ヤクルト他)や光山さん(英和=元近鉄、巨人他)がいて、打倒PLの1番手という位置付けでした」
──ともに高卒でプロ入りし、西山さんは2005年に巨人入り。桑田さんと同僚になった。4月のヤクルト戦で大正中時代以来、23年ぶりにバッテリーを組んだ。
「野球の神様に導かれた感じがしました。先発した桑田はめった打ちを食らって三回途中でKOされましたが、僕は移籍後初ヒットを打った。桑田も年を取ったなあという印象。でも最後に組めたのは良かった」
──桑田さんは巨人の二軍監督だった昨年、ファームで優勝したのに電撃退任しました。
「桑田は『今の子は強制的に練習をやらせたらつぶれてしまう』という考え方。『自分で考えて、自分でやる練習こそが身につく』って言うんですが、それは桑田や大谷翔平のような一部の選手だけ。大部分はできませんよ。桑田が見ていた二軍の選手は一軍よりもっとできない。(内部の)『若手にはある程度、やらせる練習も必要』という意見と食い違いがあったみたいです」
──自主性を重んじた。
「そうです。球団期待の若手の有望株が夏に一軍に昇格したら、三回で足がつってしまった。首脳陣が『おまえ二軍で試合に出ているんだろ?』と聞いたら、『フル出場はあまりない』と答えたそうです。桑田は選手が故障しないように、真夏の試合は早めに交代させるんです。これでは体力がつきません。桑田も中学時代は誰よりも走り込んでいた。桑田のやり方はむしろ、二軍より一軍の方が合っていたのかもしれません」
=おわり
(聞き手=増田和史/日刊ゲンダイ)


















