萩本欽一〈19〉ボケとツッコミを入れ替えたら人気爆発!“本人も忘れていた”コント55号の生みの親
作家・増田俊也氏による連載、各界レジェンドの生涯を聞きながら一代記を紡ぐ口述クロニクル。待望の第2弾は、「視聴率100%男」として昭和のテレビ界を席巻したコメディアンの萩本欽一氏です。
◇ ◇ ◇
増田「二郎さんのその言葉に萩本さんはびっくりしたと」
萩本「うん。だって俺が言おうとしたのと同じこと言うんだもん。二郎さんが『ところで欽ちゃんの話って何?』『役替わった方がいいんじゃないっていう話』『なんだ、おんなじ話?』『簡単だね』って言って替わったんだけども」
増田「まさに日本のテレビ史が変わる瞬間ですね」
萩本「俺の中でね、何で俺そこでね、替わった方がいいよって言ったんだかっていうのは、自分の中で定かでなかったの。でもこの間、滝大作*さんが亡くなったときに、彼がこう言っていたと。『あの机がコントのウケなかったときにボケとツッコミ役を替えたらどうかと言ったのは俺なんだ。55号を有名にしたのは俺だって言ってた。そう言って亡くなった』って聞いて。えー、そうかと。それで気づいたんですよ。私が替えようって言ったのは、そのときのコントを滝さんが見てて、二郎さんに言わないで俺に言ったんじゃないかって。『欽ちゃん、あれ役を替えたら面白いよ、おかしいよ。ちょっと替えてごらん、やってごらんって。そう言われてたんだよ。同じことを二郎さんが言ったんで『俺も替えた方がいいと思うよ』って言ったんじゃないかな。だから俺、今まであちこちで自分が役を替えたと言ってた言葉、ちょっと訂正したいと思いますよね」
※滝大作(たきだいさく):放送作家・演出家・プロデューサー。1960年代、日本のテレビバラエティーはまだ完成していなかった。寄席、レビュー、ストリップ劇場の幕間芸、浅草軽演劇、その雑多なものをそのままテレビへ流し込んでいた時代に、滝大作はその“混沌”を番組へ変えた側の人物だった。
増田「浅草で何回上演してから替えようってなったんですか」
萩本「えーっと、やったのがね、2回ぐらいですね。2回やってどうもウケないんで」
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