いま講演会で震災の話をするとき、俺はいつもこう話している
2011年、東日本大震災でプロ野球の置かれる状況はガラリと変わった。節電によるナイター自粛、球場施設の損傷による代替開催……。
開幕はセ・パ同時の4月12日に変更された。今思えば、野球ができるだけで奇跡だったかもしれない。
楽天はというと、一軍は横浜に残留、二軍は17日から倉敷でミニキャンプを行うことになった。18日にはナゴヤドームで震災後初めてのオープン戦。仙台に帰ることがかなわない中、できることは球場での募金活動だった。19日の試合前に募金箱を持つと、あっという間に長蛇の列。試合は左腕に喪章をつけてプレーした。
物資の支援もした。選手会でカセットコンロや食料などの支援物資を購入。拠点にしていた神戸でボランティアグループのトラックに選手自らの手で積み込んだ。現地で手助けができない中で、精いっぱいのやれることだったと思う。
4月2日と3日の両日、12球団によるチャリティーゲームが行われ、楽天は札幌ドームで日本ハムと対戦。試合前、嶋基宏があのスピーチをする。
「今、スポーツの域を超えた野球の真価が問われています。見せましょう、野球の底力を。見せましょう、野球選手の底力を。見せましょう、野球ファンの底力を」
5日にはオリックスとの練習試合後、グリーンスタジアム神戸で再び募金活動をした。
「阪神大震災のときは、たくさん助けてもらった。今度は私たちが助ける番」
そういう声も多かった。震災経験者とそうでない人の温度差は埋められない。それは募金活動でもそうだったし、俺が今続けている講演活動でも痛感している。
講演会では震災を風化させないため、防災意識を持ってもらうため、少しだけでも東日本大震災のことに触れるようにしている。そのときも、話を聞くときの食いつきや態度、雰囲気、目の色ですぐに分かる。正直、「この人にとっては震災は他人事なんだな」と感じるときもあった。
講演会で震災の話をするとき、俺はいつもこう話している。
「募金だけが復興支援じゃない。実際に東北へ行って、今の東北の姿を見てほしい。旅行して観光して、温泉に入っておいしいものを食べて、震災のことも少し勉強して帰って来てほしい。できるなら、現地の人に当時のことを聞いてみてほしい。遊びに行ってお金を落とすことも、大きな貢献になるんです」
俺たちも震災直後の東北を見てきた。といっても、仙台へ帰ることができたのは、震災から20日以上が経った4月7日。東北新幹線は一部で運行が再開できず、仙台空港も使用不能状態だった。
そのため、甲子園球場での練習を終えた俺たちは、大阪の伊丹空港から山形空港へ。そこからバスで仙台へ戻った。バスの車内で目に映ったのは信じられない光景の数々だった。
バスの車窓から見えたのは
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