水前寺清子(1)作詞家・星野哲郎への恩と愛称「チータ」誕生の理由
北島三郎(89)とともに、クラウンレコードの初期メンバーとして活躍したのが水前寺清子(80)。名曲「三百六十五歩のマーチ」は運動会の定番ソングとなり、国民的歌手に上り詰めたが、同曲を本人は気に入らなかったのだという。
《15歳の時に出場した歌謡コンクールで2位となり、作詞家の星野哲郎から声を掛けられた。歌のうまい娘を歌手にするのは父の夢でもあった。その夢の扉が開かれたのだ。だが、その後、11回にも及ぶレコーディングをしたが、デビューには至らなかった。
「どうして歌手になれないんだと父は文句を言ってたけど、レコーディングすらできない人がたくさんいた中、私は11曲も先生に詞を書いてもらい、録音もさせてもらえて、それだけでうれしかったんです。ただ、デビューできなかっただけ。その時“今のちいさなたみちゃん(本名が民子)のままの気持ちで”という慰めの言葉から、チータというニックネームまで作ってくれた。おかげで50年間もチータとして多くのファンに愛していただけたと思ってます」
恩師の曲を歌い続けてわかったことがある。


















