1970年代初頭、東京・新橋の山手線のガード下に「新橋文化劇場」「新橋日活ロマン劇場」「新橋第三劇場」という3つの映画館があった。72年4月に徳間書店へ入社し、週刊誌「アサヒ芸能」の編集者として働き始めた鈴木敏夫は、会社から歩いて数分の場所にあった、これらの映画館に通い詰めた。… 
                
                                                    
                                
                                                        
                                                    
                                
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