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酒向正春ねりま健育会病院院長

愛媛大学医学部卒。日本リハビリテーション医学会・脳神経外科学会・脳卒中学会・認知症学会専門医。1987年に脳卒中治療を専門とする脳神経外科医になる。97~2000年に北欧で脳卒中病態生理学を研究。初台リハビリテーション病院脳卒中診療科長を務めた04年に脳科学リハビリ医へ転向。12年に副院長・回復期リハビリセンター長として世田谷記念病院を新設。NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」(第200回)で特集され、「攻めのリハビリ」が注目される。17年から大泉学園複合施設責任者・ねりま健育会病院院長を務める。著書に「患者の心がけ」(光文社新書)などがある。

松尾雄治さん(2)2年目に椎間板ヘルニアが悪化…目の前が真っ暗になった

公開日: 更新日:

 伝説のラガーマンも72歳。昨年末に脳梗塞で倒れ、奇跡の科学的治療で復活しました。今後は生活習慣病予防のために「筋肉革命95」の実践が必要ですが、松尾さんといえば、大活躍の裏で、ケガとの凄まじい闘いがありました。お話を伺うと、今の医学であれば、クリアできたことばかりです。

  ◇  ◇  ◇

 ──華々しい活躍の現役時代でしたが、ケガにも苦労されましたね。

「新日鉄釜石に入って2年目、椎間板ヘルニアに苦しみ、手術しました」

 ──社会人1年目で、新日鉄釜石はトヨタ自工を破り優勝、日本選手権でも早稲田大を倒して、日本一になっていますね。ところが、松尾さんが腰痛に苦しんだ2年目は負けて、社会人2連覇を逃した。松尾さんが復活した3年目以降、7連覇です。チームにとっても、松尾さんのケガは一大事でしたね。どんな状況でしたか?

「1977年の11月ごろから腰痛が酷かったんですが、痛み止めの注射を打ち、2年目のシーズンを戦いました。でも、一向によくならない。そのうち、左足がマヒするような感覚になったので78年の2月、東京厚生年金病院に入院しました。当初はトレーニングをしながら、さまざまな治療を試して、治すつもりだったんですが何をやってもよくならない。5月に結婚したんですけど、結婚式もコルセットをはめて出て、一歩も動けず、式後は病院に直帰しました。そのうち『手術するしかない』『ラグビーは諦めろ』とか言われて、目の前が真っ暗になりましたね」

 ──椎間板ヘルニアには安静が大事です。それでも練習や試合に出たのが良くなかったんですね。髄液は取りましたか?

「痛み止めの注射をたくさん打ってもらって、試合に出てました。治療で髄液をとったら、粘りがあって。手術することになったんです」

 ──それは化膿性脊椎炎と化膿性髄膜炎を起こしていたんですね。痛み止めの注射を頻繁に打ったことによる感染症だったのでしょう。今では考えられませんが、昭和の医療は感染症対策が不十分でした。

「今なら手術の方法もいろいろあるのでしょうが、当時はバッサリ。縦一文字に10センチくらいの傷が今も残っています」

 ──よく手術の決断をされましたね。今では椎間板ヘルニアは手術せずに治すことが多くなりました。

「現役を続けたいというより、痛みから解放されたい一心でした」

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