「喝采」旋風の翌1973年のはじめ、再び内幸町のNHKの楽屋で会った。ちょうど「喝采」の次の企画に入っていたころで、人生最大の多忙な年末を乗り切って、一段落していた。公私が重なったといわれた悲恋曲「喝采」について、ちあきさんは「私の体験とは無縁な詞(吉田旺)です」と真相を明かし「… 
                
                                                    
                                
                                                        
                                                    
                                
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