ファクターXの正体は麹 焼酎杜氏はがんにならないのでは?
河内源一郎商店は、焼酎用の種麹(たねこうじ)を焼酎メーカーに卸すことをなりわいにしてきた。当然ながら焼酎杜氏(とうじ)との付き合いは欠かせない。原料となるサツマイモの収穫に合わせ、焼酎造りが始まる9月の前に、杜氏たちを集めて飲み会を開くことを恒例としていた。
3代目の山元正博が、東大大学院を修了して鹿児島に戻ったのは昭和52年。この時初めて杜氏の飲み会に参加したが、その酒量に驚いたそう。
「200人くらいいましたが、あっという間に一升瓶150本の焼酎を空にしてしまいましたからね。同時に思ったのが“これだけ飲んでよく肝臓がんにならないな”ということ。それから10年間飲み会に出席しましたが、肝臓がんになったという杜氏はひとりもいませんでした」
大学院では抗がん剤の研究をしていた。最初は遺伝のせいかと思ったが、調べてみると杜氏の家族にはけっこうがん患者がいる。すなわち遺伝ではない。杜氏だけががんにならない要因、今風に言うと「ファクターX」があるはずだ。そしてある日、思い当たった。それは「麹」である。
その頃の杜氏は蒸留する前の焼酎原液「もろみ」の発酵具合を、1日2回、自分の舌でなめて判断していた。もろみは麹の塊。つまり「杜氏は麹を日常的にとっているからがんにならないのでは?」と考えた。
「だとしたら、飲む抗がん剤がつくれるかもしれない……」
さっそく自社の研究室で麹ドリンクづくりに取り掛かった。何度か失敗を繰り返し、なんとか完成させた。しかし飲料の販売ルートを持っていなかったので、自家用として飲むにとどめていた。
それから数年後、鹿児島大学の農学部でソテツの実に含まれる発がん性物質の研究をしていた叔父ががんで倒れた。研究を長年続けるうちに発がん性物質が体内に蓄積されたのか……。胃と食道を全摘出したため、全く食べ物を受け付けなくなってしまった。
それを聞いて山元は思った。「麹ドリンクなら飲めるんじゃないか」。叔父にすすめると、問題なく飲んでくれた。亡くなるまでの1年間は、この麹ドリンクだけで栄養をとって生きていた。
そして亡くなる1週間前、叔父は山元を病室に呼んでこう言った。
「この麹ドリンクは効くぞ。がん患者の俺が言うんだから間違いない。これを飲んだ時だけ苦しさから解放されるんだ……」
製薬会社に調べてもらったら「効果あり」という前向きな答えが返ってきた。「これはいける」そう思った山元だったが、当時は第2次焼酎ブーム、連日連夜の麹づくりに忙殺され、いつしか麹ドリンクづくりは頭の片隅に追いやられてしまった。しかし5年後のある日、またしてもがん患者が山元の前に現れる――。 =つづく
(文・小茂根均 アウトサイドサイエンスライター)