脳科学者・中野信子さん「死亡年齢の中央値は93歳。あと43年を有効に使い切ることができるか」
中野信子さん(脳科学者・東日本国際大学教授/50歳)
大学教授、テレビの情報番組などのコメンテーターとして活躍する脳科学者の中野信子さん。これまで出した著書は数多いが、初の人生相談もの「悩脳と生きる 脳科学で答える人生相談」(文芸春秋)を上梓して話題だ。中野さんにこれからやりたいことや興味があることを聞いた。
今、亡くなる方の年齢の中央値をご存じですか。実は93歳なんです。つまり93歳で亡くなる方が一番多いということです。
私の場合、あと43年です。43年を有効に使い切ることができるのなら良いですが、体力も気力もずっと今と同じようにはいかないでしょう。やりたいことと、やれることには差が出てくるはず。馬力がいるような、自分を追い込んで何かを達成するといったことはきっとやりにくくなる。徐々にチョイスが狭まっていくと思います。
例えば、私がずっとやっているスキューバダイビング。しばしば呼気を循環させる特殊な器材であるリブリーザーを使った水深40メートルを超えるテクニカル(テック)・ダイビングをします。これを使って水深90メートルまで行ってみたいのですが、ある程度までは行けても90メートルとなると私の場合、体が比較的小さいので、体に溶け込む窒素の影響が相対的に大きくなり、厳しい面もある。今、行くことができているのは半分の45メートルくらいです。アドベンチャラスなことはやってみたいし、人のあまり行かないところに行ってはみたいけど、すべてをかなえることはできないだろうと思っています。見たことがない景色を見てみたい。けれど物理的に見ることができるチャンスは限定的になるでしょう。
ただ、そういった物理的に行きたいところを潰していくことが目的ということでは必ずしもないんです。別に遠くまで行って、特別なことをするのでなくても、それこそ、東京にもまだまだ見たことのない景色はたくさんあります。
東京は大きな通りや川を挟んで左右がまったく違う世界だったり、他にもモザイク状にいろいろな地域が入り組んでいたりでなかなか面白いものです。もちろん、使う予算に応じて同じエリアでも違う世界が厳然と存在するという状況もある。東京には並行的にものすごく違う世界が同時に存在するんです。これを密かにのぞき見るように観察するのはかなり面白い。
女の私が男の身になった時に、東京がどんなふうに見えるか、を想像して歩くのも面白いですね。私は身長が約160センチです。背も高くなく、歩く速度も速くなく、体力もそんなにない。そういう条件の中で、東京を歩いていますが、もし大きな男だったら……。東京で行われたものではありませんでしたが、そんなアートプロジェクトもあったんですよ。自他ともにどれほどの影響が心理的にあったことか。周囲に気を使ってもらえて、ナチュラルな尊畏敬の念を勝手に持ってもらえる。ああなるほど、「下駄を履かされる」というのは文字通りそういう意味なのだと、得心がいくはずです。女と男では見える景色が明らかに違う。
これは人が相手だと想定すると、「いや、そんな世の中ではもはやないでしょう!」と言い張ろうとする優等生ちゃんがいるかもしれないので、別の例でちょっと想像してみてほしいのですが、向こうからリヤカーがやってくるのと、ダンプカーがやってくるのと、どんなふうに感じますか? 同じように振る舞いますか? まあ、大抵のまともな人は、いずれに対してもぶつかりおじさんのようにはぶつかってはいかないと思いますけれど、もしぶつかりにいかなければならないとしたら、どちらを選びますか?