作家・黒木亮さん 思い出したように食べたくなる「ジンギスカン鍋」は故郷の味
都市銀行に勤務、ロンドン支店などを経て国際協調融資を巡る攻防を描いた経済小説「トップ・レフト」(2000年)で作家デビューした英国在住の黒木亮さん。新刊の「メイク・バンカブル!」はロンドン支店時代に中東などへの融資で各地を飛び回った時代を描いた自伝ノンフィクションだ。仕事で飛び回った各国の食べ物の描写も多く、興味深いが、異国の地でふと思い出す故郷の味について語ってくれた。
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生まれたのは北海道の赤平市です。父親は小学校の教師でしたが、両親が離婚し、生後7カ月で秩父別町にある神社の神主の家に養子に出されました。祖父の父親が屯田兵で北海道に入った人で祖父も農業をやったけど食えないというので、神主の資格を取って役場の職員をやりながら後に神主専業になりました。神主を継いだ父親としては僕にも継いで欲しいと養子をもらったわけです。
北海道の生活は屯田兵の生活様式が残っている感じで、自然との闘いでしたね。神社の境内は玉砂利の参道が100メートルくらいあって、つねにきれいにしておかないといけないので、倒木の処理とか、夏の間の草刈りとか大変だったと思います。
僕は跡取りのために養子にもらわれたわけですが、その後、妹が2人生まれ、苦労の多い仕事なので後を継ぐのは嫌だなと思っていたので、地元の高校を卒業して早稲田の法学部に入りました。中学から陸上をやっていて、早稲田では2年になる直前に競走部に入り、3年と4年の2回、箱根駅伝を走りました。
大学を卒業して関西系の都銀に入り、実の父親と初めて連絡をとったのはロンドンに赴任した30歳の時です。どこに住んでいるかは知りませんでした。戸籍謄本をたどって、届くかどうかわからないけど手紙を出してみました。実父は本籍の住所に住んでたんですね。返事が返ってきて、39歳になってから一度だけ会いましたが、その時は相手は取り乱していたというか、興奮していましたね。
後からわかったことですが、実父は明治大学の駅伝の主将を務め、4年連続で箱根を走った人でした。しかも、3年と4年の時は僕と同じ3区と8区の走者だった。不思議な縁もあるものだなと思いました。