カーシェアリングしていたカローラを置いたまま失踪した
プルトニウム製造係長 竹村達也さん
竹村達也はプルトニウム燃料部から技術部の検査課に異動した。1972年に失踪した竹村が動燃で過ごした最後の部署だ。
私が取材で訪れた技術部のOBは「竹村さんは自らいなくなった」と語った。水戸市内の古書店で、竹村の蔵書が見つかったという。身辺整理をしているということは、拉致されたわけではないということだ。
しかしプルトニウム燃料部に在籍し、箕輪寮にも入っていた竹村の元部下の証言は違う。「竹村さんは、動燃の独身寮『箕輪寮』の駐車場に愛車のカローラを置いたまま失踪した」と言った。その部下は車がカローラなのに、ナンバーが「3298」で「ミニクーパー」と読めることからよく覚えていたという。
ところが、技術部のOBは語った。
「その愛車っていうのは、気の合った職場のグループで共同出資して買った車なんだよね」
「今でいうカーシェアリングかな。当時はまだマイカーが高価で普及していなかった。一緒に乗る時もあれば、今日はオレに貸せやっていう感じで一人でドライブに行く時もある」