いろんな意味で「TOKIO」をヤバい曲にしたのは沢田研二の甘過ぎる歌声だ
シングル「TOKIO」(1980年1月1日発売)④
きょうから再度、シングル「TOKIO」の話に戻りたい。語っても語っても語りきれない一曲なのである。何といっても「沢田研二の音楽1980-85」を象徴する一曲なのだから。
ここまで、1980年元日発売という事実の時代的意味、後藤次利の優れた編曲と自由奔放なベースプレー、糸井重里のぶっ飛んだ歌詞について見てきた。次はいよいよ沢田研二自身である。
私は、この「TOKIO」を、いろんな意味でヤバくしたのは、つまるところ、沢田研二の歌声ではないかと考えている。ここでいう「ヤバい」はもちろん、今風の「かっこいい」的な肯定の意味が強い。もっと言えば、危険な感じ、ハラハラする感じも併せて含んでいる。
何が言いたいかというと、「TOKIO」という曲に対して、沢田研二の歌は「上手過ぎる」と思うのだ。さらにいえば、歌声が「甘過ぎる」感じもする。
70年代中盤、キャリアハイのヒットとなった「時の過ぎゆくままに」(75年)あたりから、沢田研二のボーカルは急に上手くなる。細かった声質が太くなり、突き抜けるような高音が出るようになり、また音程も確かになる。


















