元きこりの無名画家による水彩画集「東勝吉画集」由布院アートストック編

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「東勝吉画集」由布院アートストック編

 大分県出身の無名画家・東勝吉氏の水彩画集。

 明治生まれの氏は、少年時代から故郷の日田で木挽き(木こり)として働き、50代で引退後は、湯布院に移り住んで雑貨店を営んでいた。

 その後、78歳で老人ホームに入所。一日の大半を孤独に過ごしていた氏を気にかけていた園長が、ある日、消灯時間を過ぎても居室で絵を描く姿を見かけ、絵筆と絵の具をプレゼント。

 それから本格的に絵を描き始めたという。そのとき、氏はすでに83歳になっていた。

 以来、99歳まで16年間、ひたすら絵を描き続け、残された作品は100点を超えるそうだ。

 冒頭に選ばれたのは、湯布院のシンボルともいえる由布山(岳)を描いた「春ノ由布山」という作品。

 大分川の手前の岸は一面の菜の花、そして対岸には満開の桜並木、その並木の向こうに2つのピークを持つ双耳峰の由布山がどっしりと構える。

 以後、由布山は何度も絵の主題として登場。

 古刹の興禅院と由布山とを描いた作品や、朱に色づいた柿の実越しに見える由布山、そして雪に覆われた由布山など、当地に暮らす人々の心のよりどころでもあるその山容を、季節の移ろいとともに描く。

 ほかにも、山中に桜の泉が湧いたかのように散り乱れる宮崎県高千穂の二上山の桜、清涼な水の流れが見る者の心を洗い流していくような熊本県の菊池渓谷、大杉が並びそびえる故郷日田の玉来神社への道、赤く燃えるような「耶馬渓もみじ 羅漢寺」など、主に九州のさまざまな風景を描く。

 足が不自由になっていたため、外出してスケッチをすることはなかった氏は、新聞や雑誌、そして時にはスタッフが撮影した写真をもとにこれらを描いたという。それらの写真はときに白黒であったが、若き日に長い時間を木挽きとして山で過ごし、「山にはすべての色があった」と語っていた氏は、その記憶にある色をひとつひとつ置くようにして作品を描き、そこに現れる風景は、二上山も、菊池渓谷も玉来神社も、映像が伝えるものとは違う氏の心のフィルターを通った別の風景として見る者の前に現れる。

 木挽き時代の記憶をもとにして描いたと思われる巨大な杉「オニ杉」は、樹木への尊崇の念さえ感じられる。

 絵を習ったこともなく、好きな画家をたずねても「知らない」と答える氏は、ただただ心から湧き上がる思いを絵筆にのせてきたのだろう。

 そうして描かれた作品は、木挽き時代に自然の中で過ごすうちに培われた独特の光や色のとらえ方によって、誰にもまねのできない世界をつくり出す。

 寄稿者の中原淳行氏(東京都美術館学芸担当課長)はそんな氏の作品を「あたかも自然と違わぬ律動を絵が有しているかのように感じられる」と評する。

 素朴でありながら奥深いその作品世界にしばし浸る。 

(みすず書房 4180円)

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