紙上再録「TAMORI80~勝手にタモリ80歳大生誕祭‼」(1)
■1982年37歳で「夜の顔」から「昼の顔」に
ス)樋口毅宏さんは、その次の1982年。好きなポイントはありますか?
樋)やっぱり、「いいとも!」と「タモリ倶楽部」(テレビ朝日系)が始まる年ですかねえ。
ス)「いいとも!」の放送開始がこの年の10月4日ですって。その頃はもちろんリアルタイムですよね? どんな印象でした?
樋)やっぱり、(番組)プロデューサーの横澤(彪)さんがよく言っていたように、(当時の)タモリって、もう「夜の時間の人」だったですよ。イグアナの芸とか、とにかく変な人が「何でお昼に出てるんだ!」っていう感じですよ。覚えてる人も多いと思うんですけど、「いいとも!」の前はね、「笑ってる場合ですよ!」(フジテレビ系)があって、大漫才ブーム。「B&B」とかが出演していて。九十九一さんも後半にその曜日のMCを担当して。当時は「MC」なんて言葉もなかったですけど。
ス)いいワードですね。「ツクモハジメ。皆さん覚えています?
樋)で、子供心にまだ漫才ブームが続いてるのに、まだ視聴率とか安定してるだろうと思っていたら、横澤さんがバッサリと「笑ってる場合ですよ!」をやめて。後になって何で横澤さんが終わらせたかと言うと、楽屋に行ったら芸人たちが女とカネの話しかしていない。それにイラついたので「タモリがいい」と。そう横澤さんが言い出して、10月に今度は「笑ってる場合ですよ」から「笑っていいとも!」と。正直、漫才ブームは社会現象になっていたし、その後釜なんですよ。おっきい、おっきい穴をそんなもので埋まるはずがないって、子供心に思っていたんですよ。そしたら、もう、とんでもないことが起こったっていう。
タモリさんもタモリさんで、多分、そんなもの続くはずがないっていう風に思っていたと思うんです。現に10月に番組が始まって、年末年始には奥さんとハワイ旅行に行くチケットを買っていたって言うんですよね。
ス)いい話ですよね。
樋)でも、それはタモリさんなりの、芸人としての「願掛け」だったなと思う。これをフイにするっていう。その願掛けがまさに叶うわけなんですけれどもね。本当に僕、タモリさん、そんな詳しくないんですよ。だけど、以前、本当に好きだった番組が「笑っていいとも!」と「タモリ倶楽部」で、大体、意識しなくても見た番組がクッだらないくらい頭の中に色々と入っている。本当に2大番組ですね。他は僕、(タモリの番組は)全然覚えていない。この間も「プラタモリ」(NHK)とか見たけど、どこが面白いのか全然わからないし。
ス)「いいとも!」が始まった頃は見ていらっしゃいました? リアルタイムで。
戸)僕はまだ幼すぎて。1978年生まれなんで。
ス)あ、そうか。4歳じゃまだ見てないか。後から振り返って「いいとも!」の誕生の瞬間とか、どんな感じですか?
戸)やっぱり、それはタモリさんを選ぶっていう、すごさですよね。
ス)確かに異物感あったもんなあ。初め2年ぐらいまで。なんか、異物感があった気がします。けどね、いつか突然、どっかで跳ねるんだよなあ。
(中編につづく)


















