堤清二が見た昭和の傑物たち…池田大作・創価学会名誉会長は気配りの人、米俵を自宅に送ってきた
輝いていた日本は、もう遠い昔だ。世界2位だった経済大国から転落し、人口も急激に減少ーーと、衰退の一途をたどっている。
どうして日本は力を失ってしまったのか。どうすれば、あの時代を取り戻せるのか。
ヒントになるのが、戦後の全盛期を築いた男たちの生きざまだ。セゾングループの総帥・堤清二が語った、男たちの素顔をお届けしよう。
権力者にとって何が最も大切なのか。それは気配りと人を引きつける魅力だ。創価学会名誉会長の池田大作は人を感動させるほど気配りの人だった。
堤清二が池田大作に初めて会ったのはひょんなことからだった。メーンバンクだった三菱銀行に行った清二は、いきなり頭取の田実渉から「僕は来週、池田大作先生に会うのだが、あんたも一緒に行ってもらえないだろうか」と誘われた。昭和48年、清二、46歳ごろの話だ。
「僕も会ったことがないので、だったらぜひ会ってみたいと思い、『いいですよ』と言ったのです。ただ、なぜ僕が同伴するんだろうと思い、田実さんに『頭取、なんで僕なんですか』と聞いたら、『いろいろ聞いたら、取引先の中で怖いもの知らずはあなただけだ』とのことでした」
清二は田実頭取とともに東京・信濃町の創価学会本部を訪問し、池田大作を訪ねた。頭取の田実は創価学会との新規取引を狙っていた。
「田実さんも初めて池田会長と会うということで、私は自分で池田会長に挨拶し、『今日はこれこれこういう目的で来ました』と話をし、あとは田実さんの横でじっと話を聞いていました。第一印象は、なかなかの人だなと感じました。存在感がありましたね。当時、創価学会は、富士銀行としか取引をしていませんでした。そこで田実さんは『これだけ大きな集団になったのですから、一行だけの取引では不自然ですよ。当方ともお取引をいただけないでしょうか』と話を持ちかけた。1時間程度で話はまとまりました。それをきっかけに池田会長は『面白い若造がやってきた』とでも思ったのでしょう。その年の秋、創価学会の方が僕の自宅に米俵を持ってやってきたのです。『どうしたのですか』と聞くと、『今年の新米はまず堤さんに食べてもらえ、と池田会長から言われました』と言うのです。1回しか会ったことがないのに気にかけてもらい、しかも新米まで贈ってもらったわけですから感激します。その後しばらくしてから、また創価学会の人が男2人で大きな荷物を抱えてやってきた。『先日、池田会長がタイに行き、そこであなたが書き物をするのに便利そうな机があった、というのでお持ちしました』という。象眼を施したした大きな机でした。『池田会長は外国に行ってもあなたのことを忘れたことはないんです』とまで話す。そんなことまで言われると、こちらとしても感動するじゃありませんか。人を感動させるのが本当にうまい人だとつくづく思いました」


















