榊原康政(1)13歳の時に家康に見出され、槍働きで信頼を得る
今回は徳川四天王の一人、榊原康政を取り上げます。もちろん「四天王」という呼び名は後世のものです。しかし、領地の大きさや歴戦での活躍を見る限り、康政が徳川家屈指の武将だったことは間違いありません。
では、家康は康政のどこを評価したのでしょうか。康政の生涯をたどりながら、家康が理想とした「武士の姿」を考えてみたいと思います。
榊原氏は三河仁木氏の一族を称しています。ただし、あくまでも自称であり、その系譜が信用できるかは分かりません。少なくとも康政の家は、松平氏の家臣であった酒井忠尚に仕えたとされ、三河武士団中の名門、ではありませんでした。
康政は天文17(1548)年、三河国上野郷(現在の愛知県豊田市上郷町)に生まれました。家康より6歳年少です。幼い頃から学問を好み、書をよく読み、字もたいへん達者でした。13歳になると、家康に見いだされ、小姓として出仕します。名門の出身でない彼は家柄ではなく、彼自身の資質を認められて抜擢されたのです。
16歳のとき、一向一揆との戦いで初陣を飾ります。この戦いで武功を挙げた康政は、家康から偏諱を受け、「康」の字を与えられました。格別の名誉であり、家康が彼に大きな期待を寄せていたことが分かります。また、兄がいたにもかかわらず家督を継いだとされますが榊原家は名門ではなかったので、さしたる問題はなかったのでしょう。

















