萩本欽一〈38〉長嶋茂雄さんの「陰の努力」をなぜかみんなが知っている不思議…その理由が分かった
王貞治さんに忠告した
萩本「そう。そう思ってさ、王さんに聞いたら『いやあ、みんなオーバーに言うんだよね。確かにちょっと畳は破けたけど、そういうことをオーバーに言うんだよ』って。だから俺、『王さん、伝説を否定したらだめですよ。子供たちにおまえは王にはなれないぞって話になるんだから』って言ったの。『だからこれからはそういうこともあったねって、それだけ言えばいいんですよ』って。『いやいや、あれもオーバーだ』なんて言っちゃだめ。そうやって王さんに言ったらね、王さん『欽ちゃん、いい言葉ありがとう。マネジャーにも今後はそうするようにって言っといたよ』って。それが伝説ってやつですよ」
増田「なるほど。面白いですね(笑)」
萩本「長嶋さんに徳光和夫さん*がツッコミでさ、『長嶋さんだったらさ、サードを守っていてファーストの球も捕ったって話が欲しいですね』って言ったらしいの。そしたら『徳光、内緒だぞ、1回あるんだよ』って言ったって。ここはやっぱり徳光さんの引っ張り出し方がうまいよね。セカンドの球は何回あったかなって言ってくれたって。努力っていうのは地下で密かにやるのはダメだよ。ちゃんと伝説がつくられるように隙間があくようなところでやらなきゃ」
※徳光和夫(とくみつかずお):アナウンサー、司会者。1941年東京都生まれ。海城高校時代は落語家を志し、家出同然で柳家小さん宅の前を行き来していたところ、弟子に「ちゃんと大学へ行きなさい」と諭されて断念した。立教大学卒業後、1963年に日本テレビ入社。1979年に始まった『ズームイン‼朝!』の総合司会で全国的な顔となった。1978年の第1回以降『24時間テレビ』の全ての回に出演。読売ジャイアンツの熱烈な支持者。1989年に日本テレビを退社しフリー。
増田「それは面白い考え方ですね」
萩本「俺だってずいぶん陰で努力してるんだけど、しかし誰もね、噂にしないんですよね。やっぱり隙間をあけるの忘れてるのよ」
増田「でも萩本さんは上がり症で、最初東洋劇場で上がらないように、早朝にみんなが来る前に行って、薄暗い壇上で『俺は萩本欽一だっ!』って大声出す練習してたって」
萩本「そうそう。『俺は萩本欽一だっ!』って叫んで」
増田「それを掃除のおばさんが見てたんですよね」
萩本「僕ね、朝7時に行って舞台の掃除して、それから暗い中で『俺は萩本欽一だー』ってやってた。そしたら8時になったらおばちゃんが来て客席の方の掃除するわけ。で、いつもね、『あら、また欽ちゃんね、大変だね、みんなそうやって有名になったからね。欽ちゃんも苦労を糧にしなさいよ。頑張んなね』なんつってね。そのおばちゃんがきっと支配人に言ったんだね」
増田「そう思うことがあったんですか」
萩本「1カ月ですぐ呼ばれた。支配人が呼んでるって言ったらば、『おまえか! 朝から掃除してるってのは!』って。まず、あの支配人に出会えたの幸せだったね。怒るんだよ。『おまえか! 誰も頼んでないのに掃除してるっていうのは。馬鹿野郎』って。馬鹿野郎ってついちゃうんですからね。俺、よくわからないけど『すいませんでした』って謝って。『すいませんじゃねーよ! おまえそういうのは偉いっていうんだよ。来月から給料3000円』って、こうだから」
増田「もともといくらだったんですか」
萩本「タダ」
増田「給与なしだったんですか」
(つづく=火・木曜公開)
▽はぎもと・きんいち 1941年、東京都生まれ。高校卒業後、浅草での修行を経て、66年にコント55号を結成。故・坂上二郎さんとのコンビで一世を風靡した。その後、タレント、司会者としてテレビ界を席巻し、80年代には週3本の冠番組の視聴率がすべて30%を超え、「視聴率100%男」の異名をとった。社会人野球「茨城ゴールデンゴールズ」の初代監督、2015年には73歳で駒澤大学仏教学部に入学するなど挑戦を続け、25年10月にスタートしたBS日テレ「9階のハギモトさん!」は今年4月からSEASON3に突入した。
▽ますだ・としなり 1965年、愛知県生まれ。小説家。北海道大学中退。中日新聞社時代の2006年「シャトゥーン ヒグマの森」でこのミステリーがすごい!大賞優秀賞を受賞してデビュー。12年「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」で大宅壮一賞と新潮ドキュメント賞をダブル受賞。3月に上梓した「警察官の心臓」(講談社)が発売中。現在、拓殖大学客員教授。



















