榊原康政(4)家康が望んだ武士の姿 「軍事」と「領国経営」いずれも優れていた
慶長5(1600)年、天下分け目の関ケ原合戦が始まります。康政は徳川秀忠の東山道(中山道)軍の軍監として秀忠を補佐しました。ところが秀忠は、康政らの反対を押し切って信濃・上田城の真田昌幸を攻め、その結果、本戦である関ケ原の決戦に間に合いませんでした。
天下を決する戦いに…
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