上杉謙信(1)「義を重んじる武将」は本当だったのか
上杉謙信というと、「義」を重んじる武将という印象が強いでしょう。私利私欲では動かず、領土をむやみに広げようともしない。関東へ何度も遠征しながら自国を拡大せず、生涯独身を貫いた人物として知られています。
しかし、本当にそうだったのでしょうか。たしかに川中島の戦いのころまでの謙信は、関東へ出兵を繰り返しても領土拡大には結びつきませんでした。ところが晩年になると、越中から能登、さらに加賀へと勢力を広げています。家臣たちも命がけで戦う以上、何の利益もない戦いを続けるとは考えにくい。私は、従来の「義将」というイメージだけでは、謙信の行動は説明できないと思っています。
謙信は享禄3(1530)年、越後守護代・長尾為景の四男として春日山城に生まれました。幼名を虎千代といい、14歳で元服して景虎と名乗ります。当時の越後では、兄・晴景が家督を継いでいましたが、その統治に不満を抱いた国人たちは、軍事的才能に優れた景虎を支持しました。
天文17(1548)年、守護・上杉定実の調停によって晴景は引退し、景虎が家督を継ぎます。さらに2年後、定実が後継者なく没すると、景虎は室町幕府から越後守護の代行を命じられ、実質的な越後の支配者となりました。その後も国内の反乱を次々と平定し、22歳で越後統一を成し遂げます。
















