著者のコラム一覧
スージー鈴木音楽評論家

1966年、大阪府東大阪市生まれ。昭和歌謡から最新ヒット曲まで幅広いジャンルの楽曲を、社会的な視点からも読み解く。主な著者に「中森明菜の音楽1982-1991」「大人のブルーハーツ」「日本ポップス史 1966-2023」など。半自伝的小説「弱い者らが夕暮れて、さらに弱い者たたきよる」も話題に。日刊ゲンダイの好評連載をまとめた「沢田研二の音楽を聴く1980-1985」、最新刊「日本の新しい音楽1975~」は大好評。ラジオDJとしても活躍。

【萩原健一】ショーケンが見つめたライバル=沢田研二の「すごみ」

公開日: 更新日:

 言うまでもなく、沢田研二といえば萩原健一である。ジュリーとショーケン。「阪神タイガースと読売ジャイアンツ」に並ぶ、昭和を代表するライバル関係だろう。ま、タイガースといっても、この場合はザ・タイガースとザ・テンプターズなのだが。

 それにしても萩原健一がなぜ「ショーケン」なのか。私は長い間「萩」に「ショー」という音読みがあると思っていたのだが、「萩」は「シュウ」であり「シューケン」ならともかく「ショーケン」は変だ。

 ここで出てくるのが、さすがは日刊ゲンダイである。2019年3月29日付、梨元勝と萩原健一の対談記事 (2010年に行われた対談の再録)にはこうある。

 ──その朝鮮高校の番長の下の名前が「憲」といってね。「ダイケン」と呼ばれていて、ボクはその弟分的な感じで見られていたから「ショーケン」と。他の中学の番長で「チューケン」と呼ばれていたヤツもいた。

 なるほど。「萩健」ではなく「小健」だったのだ。ま、それはともかく。

 ここで萩原健一の自著、その名も『ショーケン』(講談社)から、沢田研二に関する記述を引いてみる。まずは沢田研二の音楽への思いについて。

 ──PYGをやっていて、改めて気づかされたことがひとつあります。歌に関しては、ぼくは沢田研二と張り合えない、ということ。客が入らなくても、ファン同士がケンカをしても、沢田はいつも一生懸命歌っていた。

 また、萩原健一は、沢田研二がこういうのを確かに聞いたという。

 ──「歌が命だ」

 さらに別の箇所では、こんな記述もある。

 ──「坊や坊や、こっちに来な」

 沢田研二、堺正章、布施明と一緒に無理やり黒塗りのクルマに押し込まれてねえ。クラブに連れ込まれたと思ったら、いきなり、

「歌え!」

 ぼくは黙ってた。泣きそうな顔しているのもいれば、「歌っちゃおうよ」と言ってるのもいたけれど、キッパリと断ったのが沢田です。ヤクザに、面と向かってこう言った。

「歌えないよ」

 偉い。こいつ、度胸あるなあ、と思った。

 あの萩原健一をして「度胸あるなあ」と思わせるのだから、すごいもんだ。

「ライバル」のすごみに気付いたこともあったのだろう。その後、萩原健一は、主に俳優として、その個性的な自我を開放していくことになる。

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「沢田研二の音楽を聴く1980-1985」(日刊現代・講談社 1980円)

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