【萩原健一】ショーケンが見つめたライバル=沢田研二の「すごみ」
言うまでもなく、沢田研二といえば萩原健一である。ジュリーとショーケン。「阪神タイガースと読売ジャイアンツ」に並ぶ、昭和を代表するライバル関係だろう。ま、タイガースといっても、この場合はザ・タイガースとザ・テンプターズなのだが。
それにしても萩原健一がなぜ「ショーケン」なのか。私は長い間「萩」に「ショー」という音読みがあると思っていたのだが、「萩」は「シュウ」であり「シューケン」ならともかく「ショーケン」は変だ。
ここで出てくるのが、さすがは日刊ゲンダイである。2019年3月29日付、梨元勝と萩原健一の対談記事 (2010年に行われた対談の再録)にはこうある。
──その朝鮮高校の番長の下の名前が「憲」といってね。「ダイケン」と呼ばれていて、ボクはその弟分的な感じで見られていたから「ショーケン」と。他の中学の番長で「チューケン」と呼ばれていたヤツもいた。
なるほど。「萩健」ではなく「小健」だったのだ。ま、それはともかく。
ここで萩原健一の自著、その名も『ショーケン』(講談社)から、沢田研二に関する記述を引いてみる。まずは沢田研二の音楽への思いについて。
──PYGをやっていて、改めて気づかされたことがひとつあります。歌に関しては、ぼくは沢田研二と張り合えない、ということ。客が入らなくても、ファン同士がケンカをしても、沢田はいつも一生懸命歌っていた。
また、萩原健一は、沢田研二がこういうのを確かに聞いたという。
──「歌が命だ」
さらに別の箇所では、こんな記述もある。
──「坊や坊や、こっちに来な」
沢田研二、堺正章、布施明と一緒に無理やり黒塗りのクルマに押し込まれてねえ。クラブに連れ込まれたと思ったら、いきなり、
「歌え!」
ぼくは黙ってた。泣きそうな顔しているのもいれば、「歌っちゃおうよ」と言ってるのもいたけれど、キッパリと断ったのが沢田です。ヤクザに、面と向かってこう言った。
「歌えないよ」
偉い。こいつ、度胸あるなあ、と思った。
あの萩原健一をして「度胸あるなあ」と思わせるのだから、すごいもんだ。
「ライバル」のすごみに気付いたこともあったのだろう。その後、萩原健一は、主に俳優として、その個性的な自我を開放していくことになる。
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