中村橋之助&能條愛未「電撃婚約」で…京都芸妓との“二股疑惑”はどうなった?
■能條の“堅実キャラ”が三田寛子の心を掴むまで
能條との熱愛報道が出た当時、橋之助は週刊ポストの“二股疑惑”の直撃に「それはないです」と答えているが、“手つなぎデート”の写真がまるでドラマのワンシーンのように鮮明なことから、芸能記者たちの間では“何者かによるリーク説”まで広まっていた。
そして、いつの間にか京都の芸妓の存在は消えてしまったのだが、橋之助周辺がさらに驚いているのが、高いハードルと思われた母・三田の了承を、能條が取り付けたことだろう。
人気歌舞伎役者と女性タレントといえば、20年ほど前の市川海老蔵(現.13代目市川団十郎白猿=47)と米倉涼子(50)がすぐに思い浮かぶが、この時は海老蔵の母・希実子さんが、米倉の見た目と立ち居振る舞いなどを理由に承知しなかったといわれている。
その後、海老蔵は佐藤江梨子(43)と交際を始めるわけだが、佐藤は希実子さんに、会うことすらかなわなかったといわれている。
「これはあくまでも推測ですが、三田と能條は芸能界における境遇が極めて近いというのもOKが出た理由として考えられます。能條は『乃木坂46』1期生で、センターを務めたのは4枚目のシングル『制服のマネキン』のカップリングA曲の『やさしさなら間に合ってる』のみ。しかも高山一実とのダブルセンターでした。アイドルとして活動してきたものの、派手なチャラチャラしたキャラクターではなかったことが、三田の共感を呼んだのかもしれません。能條はグループ卒業後も、幼少期からの夢だった女優としての活動を地道に続けてきただけに、三田としては“地に足がついた、しっかりした女優”と捉えたのでは。芸能界から梨園に嫁入りした三田は、分からないことだらけの日常の中で、富司純子(79)に随分励まされ、助けられたことを今でもとても恩義に感じているといいます。35年前の自身に、今度は私が……と、能條と重ね合わせて見ているのかもしれませんね」(前出の梨園関係者)


















