萩本欽一〈41〉“視聴率100%男”余話「ホントは120%なのに、マスコミはうまいね」
伝説の「ぴったしカン・カン」誕生秘話
増田「4つ合わせると120%」
萩本「でもね、マスコミって120%男って入れないんですよね。やっぱり100%男って書いちゃう」
増田「『ぴったしカン・カン』の司会に久米さんをっていうのは、萩本さんの一言というか…」
萩本「そうなんだけど、一番気をつけたのは久米さんに私が決めたとかっていうとプレッシャーかかるから、プロデューサーにそのことも気づかせちゃいけないと思って、遠回しに。細かな話するとね、あの番組、やっぱ運なんですよ」
増田「そうなんですか」
萩本「そう。運で。それまで『みんなで出よう55号決定版!』*って20%いってる番組があったんですよ。その中で万博に呼ばれて沖縄まで録りに行ったことがあった。そのとき雨が降ったんですよ。前にフジテレビの歌番組で沖縄に行った時はいい天気だったけど、その日はよく降った。雨がやんで収録を始めるとまた雨が降る。30分の番組なのに、またちょっと始まったらまた雨降るのよ。それでテレビ局に言ったの。『自然はね、この番組やめろって言ってんだから、やめることにします』って。そうしたらね、スポンサーが『そういう運とかのお話されても困るんだ』と。それで『やめてクイズになるなら欽ちゃんが司会ならOK』なんて言うから、私は『二郎さんと差がつくような仕事は一切55号ではしない』って、私が司会で二郎さんが解答者。私は二郎さんとは絶対そういう仕事はしない。だから私も解答者。スポンサーが降りると言っても、それじゃあ分かりましたって折れるようなことはしない」
※みんなで出よう55号決定版!:TBS系のバラエティー番組。1969年から1975年まで毎週火曜午後7時30分から30分間放送。トクホン本舗の1社提供。前々番組『チータ55号』に出演していたコント55号を再度起用し、日本各地の公会堂から放送を行った。視聴者参加公開番組で、素人の素の面白さを引き出す構成。坂上二郎扮する赤忍者が人気を呼んだ。1970年半ばから新聞のテレビ欄では「55号決定版!」と表記されることが多くなり、番組も後に『55号決定版!』と改題した。TBSと系列局が持ち回りで制作を担当していた。
増田「そこまでシビアなんですね」
萩本「うん、そうよ。で、番組を降りてしまって、スポンサーが誰もいなくなった」
増田「いやあ、シビアですねえ」
(つづく=火・木曜公開)
▽はぎもと・きんいち 1941年、東京都生まれ。高校卒業後、浅草での修行を経て、66年にコント55号を結成。故・坂上二郎さんとのコンビで一世を風靡した。その後、タレント、司会者としてテレビ界を席巻し、80年代には週3本の冠番組の視聴率がすべて30%を超え、「視聴率100%男」の異名をとった。社会人野球「茨城ゴールデンゴールズ」の初代監督、2015年には73歳で駒澤大学仏教学部に入学するなど挑戦を続け、25年10月にスタートしたBS日テレ「9階のハギモトさん!」は今年4月からSEASON3に突入した。
▽ますだ・としなり 1965年、愛知県生まれ。小説家。北海道大学中退。中日新聞社時代の2006年「シャトゥーン ヒグマの森」でこのミステリーがすごい!大賞優秀賞を受賞してデビュー。12年「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」で大宅壮一賞と新潮ドキュメント賞をダブル受賞。3月に上梓した「警察官の心臓」(講談社)が発売中。現在、拓殖大学客員教授。



















