極細筆で一気描きの三川内焼にメロメロ<長崎三川内>
中国の子供「唐子(からこ)」が喜び遊ぶ絵柄が代表的な「三川内(みかわち)焼」。この産地を見て歩く機会を得た。案内してくれたのは、「みかわち観光ガイド協会」の林博幸さん。
三川内焼の始まりは、豊臣秀吉が朝鮮に出兵した「文禄・慶長の役」(16世紀末)。林さんによれば、平戸藩の領主・松浦鎮信が帰国の際に陶工を連れ帰り、現在の長崎県平戸市で窯が誕生したのがルーツのひとつ。そしてもうひとつのルーツは、豊臣秀吉の不興を買って領主が領土を取り上げられたため、唐津焼の陶工が九州各地に移り住み、その一カ所が三川内だったこと。
江戸、明治、大正、昭和の各時代の三川内焼を鑑賞できる「三川内焼美術館」を経て、三川内焼の中心地へ。100%世襲制だそうで、後継者問題などから廃業した窯もある中、16代目の中里月度務(なかざと・つとむ)さん(48)が後を継ぐ窯「平戸松山(しょうざん)」の作業風景を見学させてもらった。父君である15代目は、林さんの同級生。