尖閣購入計画も頓挫 寄付金14億円はいまだに宙ぶらりん
「当時、尖閣諸島を守ることに必死だった」
豊洲新市場の移転問題の責任について問われた慎太郎は、そう言い訳したという。だが、守るどころか“負の遺産”しか残さなかった。
慎太郎が、もともと私有地だった尖閣諸島購入計画をブチ上げたのは、2012年4月のこと。わざわざ訪米中の講演で明らかにした。慎太郎に近い都内の保守系区議が言う。
「尖閣諸島を所有する人物から『売りたい』という話を聞きつけた慎太郎さんは早速、購入に動き出したといいます。ただ、都の予算で買うのは批判が出る。そこで、寄付金を募って購入するという猪瀬副知事(当時)のアイデアに乗っかったのです」
結果、13年1月までに全国から寄付金約15億円が集まった。だがその一方で、当時の民主党政権は12年9月、尖閣諸島の国有化を決める。慎太郎が“パンドラの箱”を開けた結果、日中関係がさらにギクシャクすることになったのは、周知の通りだ。