女学生だった戦争の語り部「種子島と馬毛島は親子です」
鹿児島県西之表市にある無人島、馬毛島。2019年11月に防衛省が地権者と売買合意したことにより、自衛隊基地が建設され、米空母艦載機の飛行訓練が恒常的に移転される計画が現実味を帯びた。種子島では米軍再編交付金をはじめとする基地建設の経済的恩恵を期待する声も強まるが、反対の声は根強い。島の高齢者には日米戦争の記憶が残っているからだ。そのような中、1月31日には市長選と市議選の投開票があり、基地誘致が最大の争点になっている。
島の住民が「語り部」と呼ぶ人物がいる。下村たみ子さん(91歳)だ。戦後75年が経ち、当時を知る人は少なくなるばかり。下村さんは15歳のときに敗戦を迎え、戦後は小学校の教員として働いた。種子島と馬毛島の記憶とは。
「女学校の4年生のときが終戦(1945年)の年でした。いまでいう高校1年です。45年の3月に学校は閉鎖になり、小学2年生から6年生までは鹿児島に疎開しました。それ以上の歳の子どもは使いみちがあると種子島に残りました。中種子(種子島中部地域)に飛行場があって、飛行機を隠す壕を作られていました。私たちはそこでキャベツなどの乾燥野菜をつくったりしていました」