「人間・沢田研二」もええけど、音楽論も、もっとちゃんと語ったれや
「人間論」を通して、彼の人間としての魅力やすごみ(ちょっとエグみ)はよく分かった。何事についても筋を通す「人間・沢田研二」のかっこよさ。そして、そのかっこよさに周りがメロメロになっていく感じ。それは例えば島﨑今日子「ジュリーがいた 沢田研二、56年の光芒」(文藝春秋)などを読むと、ひしひしと伝わってくる。
ただ「人間・沢田研二論」に触れ続けていると、「人間論もええけど、音楽論も、もっとちゃんと語ったれや」という気持ちが、関西人の私の中でメラメラふつふつと湧いてくるのだ。
「TOKIO」のワクワクするイントロ、「渚のラブレター」(アルバムバージョン)の突き抜けるような名唱、「晴れのちBLUE BOY」のパンクな実験性──そんな話をしたい。しょうがない。誰も語らないなら、私が語ってやろう。
というわけで、この連載は、あくまで沢田研二の音楽を語ることをルールとしたい。さらには、単なる懐メロではなく、「あー、あった、あった。この曲」でもない。歌詞、メロディー、アレンジ、演奏を、まるで令和の新曲を聴くかのように真正面から捉え、その魅力やすごみ(ちょっとエグみ)を確認していきたいと思う。




















