御三家の生き残り舟木一夫の“傷だらけの人生”と、兄貴分だった故・橋幸夫さんも太鼓判のサバイバル術
「3人のうち、舟木は心身の不調で活動休止を余儀なくされたりしてきました。傷だらけの人生といえるかも」
と、本人を知る芸能関係者はこう続ける。
「1970年代にはヒットに恵まれなかったり、失恋などで2度、『自殺未遂』と報じられています。ホテルから失踪し、睡眠薬などを服用した状態で発見される事態となって、芸能マスコミに追いかけられたのも一度や二度じゃない。復帰後も、親族の事故死や事務所トラブル、経済的問題が取り沙汰されてきたんです。それでも地方イベントや舞台などでカムバックし地道に取り組んで、ここまでたどり着いた。舟木は自らの艱難辛苦を『芸人の業』と呼んで、華々しく見える芸能界が極限の精神力を必要とする仕事だったと振り返っています」
御三家では橋さんが年上で、兄貴分とされていたのはファンならお馴染みの話。
「もともと『舟木一夫』は橋さんが日本コロムビアからデビューするときに、つけられることになっていた芸名で、日本ビクターからデビューすることになって、本名の『橋幸男』から『橋幸夫』と命名されました。そうした経緯からも、橋さんは舟木を『一緒に時代を戦った仲間』と言っていた。そして何度も立ち上がる姿を称えてきた。今も天国から、御三家の生き残りとなった舟木のことを心配しつつ、応援していると思いますよ」(同)