「MEMORABILIA 谷川俊太郎」正津勉氏
「MEMORABILIA 谷川俊太郎」正津勉著
昨年11月13日に92歳で亡くなった詩人の谷川俊太郎氏。その一周忌に当たって、詩人の著者が谷川氏との半世紀にわたる親交の思い出を氏の詩作品に沿いながらつづった追想記を上梓した。
ここには、皆がイメージする詩人・谷川俊太郎とはまた違った素顔が活写されている。
「私、1972年の1月に、下手っぴぃな詩集(『惨事』)を出したのですけど、その年の秋か初冬に会ったのが最初です。意外にも谷川さんが私の詩を面白がってくださった。以来私が関わっていた雑誌に寄稿してもらったり、あれこれお付き合いをさせてもらいました。ただ、本にも書きましたが、私が青春時代を送った1960年代前半の詩壇は『荒地』や『列島』などの『戦後詩』が席巻していて、谷川さんの詩を読んでいる人は、私も含めて周りにほとんどいなかった。谷川さんのデビュー作『二十億光年の孤独』が、戦前詩壇の親玉、三好達治の推薦を受けたということに対する反発もあって、当時の谷川さんは詩壇の中では浮いた存在だったんですね。そんな時に年下で無名な私には、話がしやすかったのだと思います」
当時の詩壇では孤立していたように見える谷川氏だが、逆にいえばそこは狭すぎたのかもしれない。若き日の谷川氏が石原慎太郎のピンチヒッターとして「私のジェームス・ディーン」という小説を書いたり、市川崑監督の映画「東京オリンピック」の脚本、TVアニメ「鉄腕アトム」の作詞など他ジャンルでも積極的に活躍したことはよく知られている。
「谷川さんは他分野の人とのコラボが好きでしたね。晩年に至るまで音楽家である息子の賢作さんと一緒にコンサートをやったり、コラボの思想というのが強くありました。そういう意味でも、それまでの詩人というイメージを壊した人でもありますね。詩の朗読などもいち早くやったのは谷川さんだし、いろいろな共同創作のアイデアを常に持っていました」
今回の本を書いていて著者が改めて気づかされたのは、谷川氏が手掛けた絵本の仕事の重要性だという。
「絵本を誰が読むかというと、幼児が読むわけです。だから漢字は使えない。ひらがなです。そこでひらがなの魅力に気づいた。谷川さんが育った時代は、一億総玉砕といった言葉が横行する漢字文化で、しかも女・子どもを排除している。それは戦後も続いていた。それを窮屈に感じていたところに、絵本の仕事でひらがなの自由感を覚えて、今度は文字だけでやってみたいと思ってやったのが言葉遊び歌です。谷川さんはよく国民詩人といわれますが、国民というのは大人だけじゃない。子どもへ届くひらがなの詩を最後まで作り続けたことでは紛れもない国民詩人だと思います。谷川さんの詩を読んだ子どもたちが、自分たちが親になったときにその子どもたちに読み聞かせていく。そうやってこれからも読み継がれていくんじゃないでしょうか」
「マザー・グース」や「スヌーピー」の翻訳のことなど、まだまだ語ることはたくさんあるという著者。「もう1冊書けそうですね」というと、「いや、もう5、6冊やっても書けないな。掘れば掘るほど気づくことがいっぱい出てくる」と。続編、大いに期待したい。 (作品社 2640円)
▽正津勉(しょうづ・べん) 1945年、福井県生まれ。同志社大学文学部卒。詩人・文筆家。著書に詩集「惨事」「奥越奥話」、小説「笑いかわせみ」「河童芋銭」、評伝「忘れられた俳人 河東碧梧桐」「乞食路通」など多数。



















