水森かおりが振り返る一番の窮地 デビュー3年目で宣告された「結果が出なかったら来年の契約はない」
起死回生のきっかけは「ヒトのせいにしない!」
──どうやって起死回生したのでしょう?
「考え方を変えました。ヒトのせいにしない! みんなが押してくれる車に乗るんじゃなくて、目配り、気配り! 挨拶も一人一人目を合わせて、改めて感謝を込めました。考え方を変えると周りの方がより盛り上げてくださるようになって、おかげで契約が切られることなく、今31年目になりました。やっぱり生意気より頑張ってる人を推したいですよね……。そう思うようになって、いただいたお仕事は全て受け、文句は言わない、というか、ありがたさが増しましたね」
──紅白はスケジュールがタイトだそうで。
「今日(12月12日)ドレスのデザインが届いたばかりで、まだ何も(笑)。巨大衣装の時も3日前に完成したくらいです。ドミノは一度倒しちゃうと簡単にもう一回はできないので、リハーサルが少なくなりますね。最後に1個から扇形に広がるナイアガラになるのですが、実はドミノの音が大きくて曲がところどころ聞こえなくなるんです。イヤホンしても聞こえないので、勘で歌うしかなくて。私としてはそこが一番ドキドキハラハラです(笑)」
──紅白での目標は?
「目標をたてて、かなってしまうと燃え尽きちゃいそうなので、あまり目標を決めないタイプなんです。紅白に出られるのも奇跡ですし、今回私は光が当たったけれど、いつか影に回る時が来るかもしれない。だから、この奇跡がいつ終わってもいいようにこの景色を目に焼き付けてベストを尽くすのみです」
──今後のビジョンは?
「デビューした頃、若い人が演歌を聴かなくなっているから『水森かおりの歌なら聴きたい』と思っていただけるようになりたい、架け橋になりたい、って言っていたんですよね。最近、バラエティー番組を見て興味をもってくださる方、同世代の方、おばあちゃんからお孫さんまで親子3代でコンサートに来てくださるようになって、少しは実現できているのかなと思います。これからも演歌の架け橋になれたら。全力で歌っていますので一度聴いていただけたらうれしいです!」
(取材・文=岩渕景子/日刊ゲンダイ)
▽水森かおり(みずもり・かおり) 1973年、東京都生まれ。95年に「おしろい花」でデビュー。2003年に「鳥取砂丘」で紅白初出場以来23年連続出場。25年3月にリリースした「大阪恋しずく」のミュージックビデオがYouTubeで245万回再生超え、カラオケ演歌・歌謡曲ランキングで1位に。


















