【木挽町のあだ討ち】血まみれ果し合いの真相に迫る
成就した仇討ちの真相を第三者が調査する物語は珍しい
敵役の北村一輝はさすがの名演。渡辺謙は「国宝」と本作に二股出演した格好だ。
仇討ちものの映画は数多く作られてきた。「大忠臣蔵」(1957年)、「曽我兄弟 富士の夜襲」(56年)、「荒木又右衛門 決闘鍵屋の辻」(52年)など数え上げたらきりがない。ただ、本作のように、すでに成就した仇討ちの真相を第三者が調査する物語は珍しい。知り合いの映画記者も「見たことがない」と言っていた。
あえて言うなら、文学作品の「綾尾内記覚書」。作家・滝口康彦が第15回オール新人杯(1959年)を受賞した傑作だ。素懐を遂げた仇討ちの真相を暗く、シリアスなタッチで暴いていく。
これに対して「木挽町のあだ討ち」は狂言回しの加瀬が始終空腹で腹をグーッと鳴らすなど、コミカルな演出で観客を謎解きに引き込んでいく。
永井紗耶子による原作小説は「藪の中」(芥川龍之介)のように登場人物の証言を重ね、彼らの不幸な身の上を重ね合わせて江戸時代の酷薄さを表現しているが、映画は余計な前置きをカット。そのため心に染みる出来栄えとなった。
冒頭からひきつけられる。女形のように真紅の着物をまとった菊之助が一瞬にして白装束に姿を変え、降り積もる雪にまみれて作兵衛と斬り合う。白装束と雪に鮮血が吹きこぼれる。その色彩的なコントラストは見事。
加えて菊之助役の長尾謙杜が美しい。少年か、はたまた少女か。筆者は少年愛とは無縁だが、スクリーンの長尾のあでやかさには嘆息させられた。女性の観客は一様に心を奪われるだろう。
近年、時代小説と時代劇映画には江戸の庶民を生き生きと描く作品が多い。身分制度の厳しさから視点を遠ざけ、庶民が助け合い怒鳴り合いながら飄々と生きる物語のほうが観賞者に受けるからだそうだ。
その理屈でいえば、庶民の日常はユートピア(理想郷)で、武士道は不条理だらけのディストピア(暗黒郷)。本作は武士のディストピアが江戸にたどり着き、芳醇な人情譚に生まれ変わったことになる。だから観客の胸に刺さるのだ。
(文=森田健司)



















