萩本欽一(10)自宅に税務署、友達もいない 萩本少年を救ったのがチャップリンだった
作家・増田俊也氏による連載、各界レジェンドの生涯を聞きながら一代記を紡ぐ口述クロニクル。待望の第2弾は、「視聴率100%男」として昭和のテレビ界を席巻したコメディアンの萩本欽一氏です。
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増田「萩本さんのことは僕も小学生の頃からずっとテレビで見てましたから、そんなシャイで内気な方だっていうのは知らなかったです」
萩本「うん。中学の時には完全に絵描きになろうと思ってた。絵でね、小学校の時に金賞だとかね、結構取ってたの。で、中学の時にお金もないから友達なんかできないんだよね。だから画用紙持って、夏休みは隣が植物園だったんで、ちょっと塀越えると植物園に入れた。それで夏休みずっと絵描いてたからいいなー。なんか木と話してると景色と話してるといいなっていうね。もう本当によくしゃべれた」
増田「自然相手に話をしていたと」
萩本「そうそうそう、景色や木と」
増田「面白いですね。少年ってそうやって自分の原風景ができていく」
萩本「俺の描いた絵、いろいろあるんですよ。芸能界に入っても。そのときに誰かに言われたの。『欽ちゃんの絵って必ず道が入ってるけど、何かあるの? 哲学あんの?』って言うから、いや、なんもないよ。あ、でもなんか道好きだなと」
増田「道ですか」
萩本「もしかしたらチャップリンのせいかな。最後に道去っていくじゃない」
増田「チャップリンには中学の頃から憧れってのがあったんですか?」
萩本「チャップリンが好きだったのは一番貧乏したときに、母が夜11時まで絶対に帰ってくるなって言ってね」
増田「それはなぜ?」
萩本「税務署が来るから」
増田「差し押さえですか」
そんときに見たのが「モダンタイムス」、すげえって
萩本「うん。『赤い紙貼られるのは人がいると貼られるんだよ』って説明してくれました。税務署の人が『はい、見てるね』って言ってパンッと貼るんだって。誰もいなきゃ貼らないって言うの。だから11時までなんだって。あとは人間って寝るから、寝てるやつを起こしてパーンって、そういうことはしないって」
増田「なるほど」
萩本「だから夜の11時以降に帰っておいでっていうんで、家の鍵はぜんぶ閉まってるから、お風呂場の窓をちょっと持ち上げると外れるから、その隙間から入れっていうんだよ。で、時間を潰すためにチャップリンの映画代で50円くれた。そんときに見たのが『モダンタイムス』。その帰りにね、うちまでね、電車のお金ないから歩いたの。テクテクテクテク。そしたらね、映画のあそこおかしかったなぁ、おかしかったなぁと思って歩いてたらね、あっという間に家に着いちゃったの。それで、チャップリンってすげえなって。ほんとは40分歩くのがつらいのに、つらいって思わせない。やっぱり笑いってすげえなと思った」
増田「映画のことを考えてるだけで40分経ったと」
萩本「はい。チャップリンってすげえなって思った」
増田「状況から言えば、差し押さえから逃げてるのに」
萩本「うん」
増田「『11時まで帰るな』とか言われて、映画で時間潰して40分も夜道を歩くつらい状況なのに」
萩本「頭の中から借金が消えちゃった。チャップリンおかしい、おかしい、あのボタンもおかしいやとかね。思い出してるうちにあっという間に家に着いちゃった。すごい。笑いっていいな。こんなにつらいをおかしいで塗り替えちゃう。言葉とか気持ちがさ、パーンと飛んでっちゃって。チャップリンは偉大だよ。40分まだ尽きない」
増田「ずうっと頭のなかで思い出してニヤニヤして」
萩本「そう。もうおかしくておかしくて。笑いっていいなってほんとに思った」
(つづく=火・木曜公開)
▽はぎもと・きんいち 1941年、東京都生まれ。高校卒業後、浅草での修行を経て、66年にコント55号を結成。故・坂上二郎さんとのコンビで一世を風靡した。その後、タレント、司会者としてテレビ界を席巻し、80年代には週3本の冠番組の視聴率がすべて30%を超え、「視聴率100%男」の異名をとった。社会人野球「茨城ゴールデンゴールズ」の初代監督、2015年には73歳で駒澤大学仏教学部に入学するなど挑戦を続け、25年10月にスタートしたBS日テレ「9階のハギモトさん!」は今年4月からSEASON3に突入した。
▽ますだ・としなり 1965年、愛知県生まれ。小説家。北海道大学中退。中日新聞社時代の2006年「シャトゥーン ヒグマの森」でこのミステリーがすごい!大賞優秀賞を受賞してデビュー。12年「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」で大宅壮一賞と新潮ドキュメント賞をダブル受賞。3月に上梓した「警察官の心臓」(講談社)が発売中。現在、拓殖大学客員教授。



















