萩本欽一(7)疎開先の浦和から東京に戻って、「ヨイショっ子」になりました
作家・増田俊也氏による連載、各界レジェンドの生涯を聞きながら一代記を紡ぐ口述クロニクル。待望の第2弾は、「視聴率100%男」として昭和のテレビ界を席巻したコメディアンの萩本欽一氏です。
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増田「疎開先の浦和から東京に戻られたのは戦後」
萩本「ですから、小学校4年生で転校になった。4年生っていくつ? 10歳?」
増田「東京に来たら都会の子たちとの関係とか大変だったんじゃないですか」
萩本「何よりもね、起立、礼、着席って言わないです。すげえ伸び伸びしたね。そしてガキ大将がいるの。弟の本の中に兄貴はすごいヨイショっ子だったって書いてあった。弟はなかなか自分のポジションを取れない子だったけど《欽ちゃんは随分とガキ大将にヨイショして、何かと言ってごまかして、僕をそーっと、その仲間に入れてくれた》と」
増田「本当にヨイショしたんですか」
萩本「そう。あそこでヨイショを覚えなかったら、また人生違ったかもしれないね」
増田「子供時代から身につければ無敵ですね」
萩本「ガキ大将が『今日はビー玉やろうか』なんて言うと『あ、ビー玉やってないですね』って必ず言うしね。ガキ大将が『でもさ、やっぱりベーゴマやりてえな』なんて言うとね『俺もベーゴマやりたいです』と言うんですよ。自分が何したいっていうのはもう持たないで生きてたからね」
増田「ガキ大将をいかに上手に扱うか」
萩本「はい、そうです。それで水鉄砲でチーム別で戦ったりするときね、ガキ大将側に入るとずいぶん楽なんですよね。撃たれる方をやるときついんですよね。ガキ大将が『おまえこっち、おまえあっち、おまえこっち』つってチーム分けするから大変ですよ。ガキ大将のチームに入るために普段からヨイショしておかないと。そういうところでうまくやってたと思う。浦和にいた頃は級長だったのに、東京来たら急にヨイショっ子だよ。それは弟の本に細かに書いてあって、いろいろ思い出したけど、僕自身知らないこともいっぱい。『へー、こんなことまでやってんだ』って」
増田「弟さんとは何歳離れてるんですか?」
萩本「聞いたらね、1年と7カ月ぐらいだって。約2年だね」
増田「学年でいうと2年」
萩本「そうです。インタビューで家族の話とかってあるけど、俺、全く知らないから教えてくれって言って。そうしたら、おまえいくつ離れてんだって。1年7カ月ぐらいっつって。ありがとなって。教えてもらったの」
増田「それで、そこでガキ大将をうまく乗せて」
萩本「はい」
増田「東京来たら級長じゃなかったんですよね」
萩本「全然。あの、あの勉強もね、あの、もうずーっと楽になっちゃって。オール5はね。どうなったか覚えがないですね」
増田「東京に戻ったら」
萩本「中学は覚えてます。中学はね。500人全部が順位が出て廊下に貼りだされるんですよ。1番から500番まで」
増田「成績が」
萩本「はい。70番が1回ぐらいかな。あとは大体180番までね。その間うろうろしてました」
増田「中の上ぐらいですね」
いいとこを探す母ちゃんの精神が好きだった
萩本「そう。通信簿を渡したらお母さんがパッと広げて『まあ、きれいに真ん中に揃って』って。はいって言って。次の学期も『まあきれいに真ん中に揃って』、はいって言ってね(笑)。母親はね、なんでも優しく『まあ』って言うの。もう私がちっちゃい時から『まあ』って。だから俺が高校で240人中200番の時も『まあ』ってやってる。家が大変でアルバイトばかりしてたから一気に成績が下がってた。でも、母親、偉いんです。持ち上げる。『まあ』って言ってしばらくいいとこ探してるんです。ないもんだから。『まあ』って言って言葉に詰まってる」
増田「斎藤清六さんみたいな(笑)」
萩本「そうそう(笑)。探して『あっ、欽一、後ろに40人いるね』って。そのとき俺、思ったもん。この母ちゃん大好きだって思った」
増田「素晴らしい人ですね」
萩本「うん。ほんとにそう。同じペースで付き合ってあげようっていう、その精神がいいなと思った」
(つづく=火・木曜公開)
▽はぎもと・きんいち 1941年、東京都生まれ。高校卒業後、浅草での修行を経て、66年にコント55号を結成。故・坂上二郎さんとのコンビで一世を風靡した。その後、タレント、司会者としてテレビ界を席巻し、80年代には週3本の冠番組の視聴率がすべて30%を超え、「視聴率100%男」の異名をとった。社会人野球「茨城ゴールデンゴールズ」の初代監督、2015年には73歳で駒澤大学仏教学部に入学するなど挑戦を続け、25年10月にスタートしたBS日テレ「9階のハギモトさん!」は今年4月からSEASON3に突入した。
▽ますだ・としなり 1965年、愛知県生まれ。小説家。北海道大学中退。中日新聞社時代の2006年「シャトゥーン ヒグマの森」でこのミステリーがすごい!大賞優秀賞を受賞してデビュー。12年「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」で大宅壮一賞と新潮ドキュメント賞をダブル受賞。3月に上梓した「警察官の心臓」(講談社)が発売中。現在、拓殖大学客員教授。



















