萩本欽一(12)19歳で一家離散「安藤組解散に倣って萩本家も。“皆さん、かいさ~ん”って」
作家・増田俊也氏による連載、各界レジェンドの生涯を聞きながら一代記を紡ぐ口述クロニクル。待望の第2弾は、「視聴率100%男」として昭和のテレビ界を席巻したコメディアンの萩本欽一氏です。
◇ ◇ ◇
増田「それで、高校卒業してから浅草へ行くんですよね。東洋劇場*に入って見習い下働きから始めて」
※東洋劇場(とうようげきじょう):浅草六区の奥にあり、かつてはレビューや軽演劇の流れを引いた劇場だった。後にストリップ劇場となる。踊り。音楽。笑い。それが時代とともに変化し、いまの形になった。
萩本「はい。それですぐに萩本家の解散式があったの。18歳で浅草に行って、19歳のときに解散式」
増田「解散式?」
萩本「そうそうそう。最近、弟に話聞いたんですよ。おまえあれからどうしたの? って聞いたら『一家が解散式して、高校で結構しんどかったんだけど、アルバイトして、自分で大学行った』つって。偉いね」
増田「その解散式は萩本さんが何歳の時ですか」
萩本「浅草に行ってから1年くらいですね」
増田「19歳ぐらい」
萩本「そう。解散式のとき、兄ちゃんが新聞持ってたの覚えてる。朝日か読売かどっちかの新聞に《安藤組*解散》ってでっかく出てた。で、その新聞を持って兄ちゃんが『俺、大学出て卒業して商社に入ったわけよ』って話し始めた」
※安藤組(あんどうぐみ):安藤昇組長が率いた愚連隊。活動の拠点は渋谷周辺。興行街、ストリップ劇場、映画館などを中心に、客同士の揉め事や興行のトラブルの仲裁など表に出ない仕事をしていた。安藤昇は引退後に映画俳優となった。
増田「お兄さんが?」
萩本「うん。大学出てトーメンっていう商社に勤めてた。今はもうなくなっちゃった商社だけど大きな会社。そこへ入ったんだけど、その給料で家族みんなを食わせてると。『俺には
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