32歳白血病で亡くなった中川翔子の父 勝彦

公開日: 更新日:

<1994年9月>

 80年代初頭、当時としては珍しいビジュアル系マルチタレントとしてミュージシャン、俳優、声優と多彩な活動を行い、人気を集めた中川勝彦。急性白血病で32歳の若さで亡くなったのは94年9月のこと。私生活を表に出していなかった中川には当時、9歳になる娘がいた。娘はその後、しょこたんこと中川翔子としてブレークするが、父親が勝彦であることも明らかにされ、驚いた人も多かった。

 しょこたん人気に押される形で2000年代半ば以降、中川の過去の活動や闘病中に出版した絵本にも再び注目が集まった。

 中川は慶応大在学中の84年2月にデビュー。音楽活動を続けながら映画やテレビで活躍していたが、間もなくデキちゃった婚。85年5月には娘を授かった。しかし、アイドル路線で売り出していた中川は子どもが生まれたことはおろか、結婚したことも親しい友人や信頼できる関係者にしか知らせておらず、世間では中川は独身であると思われていた。

 倒れたのは92年7月。30歳の誕生日の翌日だった。以前から食欲がないと体の変調を訴えていた中川がその日、急に体に力が入らないという状態になったという。病院では白血病の診断が下されて入院。一時はミニコンサートを開くまでに回復したが、94年9月17日、帰らぬ人となった。

最新の芸能記事

日刊ゲンダイDIGITALを読もう!

  • アクセスランキング

  • 週間

  1. 1

    ドジャース佐々木朗希の心の瑕疵…大谷翔平が警鐘「安全に、安全にいってたら伸びるものも伸びない」

  2. 2

    ドジャース「佐々木朗希放出」に現実味…2年連続サイ・ヤング賞左腕スクーバル獲得のトレード要員へ

  3. 3

    ドジャース大谷翔平32歳「今がピーク説」の不穏…来季以降は一気に下降線をたどる可能性も

  4. 4

    ギャラから解析する“TOKIOの絆” 国分太一コンプラ違反疑惑に松岡昌宏も城島茂も「共闘」

  5. 5

    巨人が李承燁コーチ就任を発表も…OBが「チグハグ」とクビを傾げるFA松本剛獲得の矛盾

  1. 6

    国分太一問題で日テレの「城島&松岡に謝罪」に関係者が抱いた“違和感”

  2. 7

    今度は横山裕が全治2カ月のケガ…元TOKIO松岡昌宏も指摘「テレビ局こそコンプラ違反の温床」という闇の深度

  3. 8

    国分太一“追放”騒動…日テレが一転して平謝りのウラを読む

  4. 9

    ドジャース首脳陣がシビアに評価する「大谷翔平の限界」…WBCから投打フル回転だと“ガス欠”確実

  5. 10

    大谷翔平のWBC二刀流実現は絶望的か…侍J首脳陣が恐れる過保護なドジャースからの「ホットライン」