歴史作家と歴ドルが激論! 黒田官兵衛の謎、知力、魅力
加来「死に直面したことで、性格もガラッと変わったといわれています。青くささがすっかり抜け、人の気持ちや恩を大事にするようになったと」
小日向「この時、信長は城から出てこない官兵衛も自分を裏切ったと思い、人質にしていた官兵衛の長男を殺そうとしたんですね。それを救ったのが竹中半兵衛」
加来「そう。半兵衛がかくまってあげたんです。半兵衛は官兵衛が幽閉されているうちに病死するのですが、官兵衛はこの時の半兵衛への恩をずっと忘れずに、子孫をもり立てていますね」
■最大の見せ場は「中国大返し」
黒田官兵衛の活躍のハイライトといえば、信長が明智光秀に暗殺された直後の、秀吉の「中国大返し」である。
加来「信長の訃報を知ると、官兵衛はまず、水攻めにしていた備中(現・岡山県西部)高松城の毛利軍と素早く講和を結び、ほぼ同時に堰(せき)を切り、あたりを水浸しにして、追撃の心配をなくすわけです。これだけでも大仕事なのに、彼は2万5000人もの将兵を引き連れて、220キロをわずか7日で移動させました」