巨人・川上哲治監督が「阪急を勝たせてはいけない」と憤慨した、球審への報復行為
前身となる阪急軍から数え、今年で球団創設90周年を迎えた阪急ブレーブス(現オリックス・バファローズ)。当時のパを代表する名手を幾人も輩出する中、ひときわ異彩を放っていたのが森本潔だ。球界から突如消えた反骨の打者の足跡と今を、ノンフィクションライターの中村素至氏が追った。(毎週木曜掲載)
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球史に残る大騒動となった1969年の日本シリーズ第4戦。巨人・土井正三のホームスチールの判定を巡って抗議した阪急・岡村浩二捕手がシリーズ史上初の退場となり、西本幸雄監督、コーチ陣も興奮状態のまま、試合は巨人の勝利に終わった。
「俺の見解では、あれはセーフだね。正直言って、あの岡村さんのタッチの仕方では無理やね。タッチするのが遅かったよ。甘かった。それと、土井の走塁が巧かったよ」
と、かつての立大同期生であり、ライバルだった土井の好走塁を賞賛する。本塁突入を三塁から見ていた森本が初めて冷静に語る歴史的証言だ。
しかし、「明らかに誤審」と思い込んでいた阪急ベンチの怒りは収まらなかった。岡村退場後、敗色濃厚となった終盤、交代した捕手が投手の球を捕らず、岡田功球審に「サイン違い」と称してぶつけようとする報復行為に出た。これは、控え捕手の独断で実行できるものではなく、ベンチ(側近のコーチ陣)の指示だった。


















